先日も書きましたが、猛暑が過ぎて94歳の父の活発化が著しい。
つい「いいんだか悪いんだか」と、ため息をついてしまうのは、夕方4時半頃に帰宅してから夕飯までの時間を持て余すからである。猛暑続きだった時期は、デイサービスから帰って夕飯までほとんど父はベッドで横になって寝ていた。が、活発化すると寝ないで起きている。お茶とおせんべいを出せばご機嫌になるけれど、その後、庭を眺めるなりTVを観るなりで一人で過ごせれば良いのだが、認知症の父はそれができない。近くに誰かいないと不安になる、誰もいないとヨロヨロしながらドスドス足音を響かせて動き回るうちに転ぶ・・・だから放っておけない。とはいえ、一緒におしゃべりもできない。すぐに「人事はどうした?」「組織はちゃんとしてるのか?」と、妄想の会社だか事業だかの話になって私を叱り出すからだ。
というわけで、今日はおせんべいタイムが終わった頃を見計って「歌の時間」に誘った。私にとってはウクレレの練習にもなって一石二鳥。最近のお気に入りの「薔薇が咲いた」、そして「もみじ」、「ふるさと」もウクレレに合わせて一緒に歌った。父も楽しそうに声を張り上げた。
が、3曲歌ったところで父は「疲れた」と言って、ソファに座ったまま目を閉じた。ならば、と私は暗譜で弾けるようになった「アロハオエ」「サエラ」「島の唄」といったハワイアンを奏でていると、父は座ったまま寝息を立てはじめた。そしてほどなく、大きなイビキをかき出した。うるさい。けど、まあいい、アーダコーダごねられるよりいい。で、しばらくアロハ気分で一人楽しく弦をつまびいていた。どのくらい時間が経ったか定かではないが、父が、ガッガッと大きなイビキを吸い込んだかと思うと、「うるさーーーーーい!!」とネガティブ・オーラを炸裂させて大声で怒鳴った。
はぁ? そんな怒鳴らなくてもいいじゃん。っつーか、私、仕事や読書や他にもやりたいことが山ほどあるのに、お前さんの見守りでここにいなきゃいけないから弾いてるんだけどぉ。と、つい、ネガティブ・パワーが電撃のように伝染した私も「うるさいのは、そっちのイビキだっ!」と怒鳴り返してしまった。「そこまでしなくても」と頭の隅で思ったんだけど、つい、ソファに座ってる父の顔にグイッと正面から顔を寄せて、わざわざ喧嘩をふっかけるように大声を張り上げてしまったんである。やれやれ、やっちまった。で、さらに勢い余って「勝手に寝てな!」とすてぜりを残し、ウクレレをつかんで2階に上がってしまった。
とはいえ、私も大人だ。というか大人も大人、しっかりシニアの仲間入りすらしてる。「落ち着け」と自分をいさめながらウクレレをしまったりカーテンを閉めたりしていたら、階下で父がトイレに行く音が聞こえた。すわと階段をおり、便座の前で後ろ向きに立っている父に、まるで何ごともなかったかのような声音で「お手伝いしますよ」と言い、「失礼します、ズボンを下げますよ」と父のウエストに手をかけた。最近の父はトイレの手順がわからなくなったりフラついてトイレを汚すので、手早く着脱を手伝い、グイッと便座に座らせないと、あとの掃除にも洗濯にも手がかかるからだ。
認知症の父は数分前に言ったことややったことをたいてい忘れてしまうので、さっき怒鳴ったことを忘れているかもと期待しての対応だったのだが、今日ばかりはそうはいかなかった。「触るな!」と父はまた怒鳴った。で、気持ちを収めたつもりだった私も瞬時に反応してしまい、「ちゃんと座らないとダメでしょ!」と大声で応酬してしまった。火に油を注がれた父は、「ワー!」だの「放っておいてくれ!」だのと怒鳴りつづける。あーあ、もういいや、勝手にやればいい、あとで掃除すりゃいいさ、と思い切り、私は無言でその場を外して手を洗い、台所で夕飯の支度を始めた。
廊下の向こうでトイレの水を流す音が聞こえ、父がリビングに戻った気配がした。静けさが広がるなか、カツオ出汁をとったりネギを切ったりしていたところ、しばらくするとトットトットと足音がしてひょっこりと台所の脇に父が顔を出した。手を止めて父を見ると、「いや、さっきはカッとしてすまなかった、悪かった」と神妙に言うではないか。まぁ、昭和一桁生まれのオレオレ主義の父にしてはめずらしい。
「うん、わかった、こちらも悪かったわ。じゃ、仲直りしよう」と私は包丁をまな板において、右手を父の方に差し出した。すると、父は相合を崩して私の右手を両手で握りしめ、うれしそうに言った。「そうだそれがいい、仲良くしよう、一人きりの弟だ」
「仲直りしよう」と持ちかけた頃から私はこの成り行きに笑いが込み上げてきていたのだけれど、ここに至って爆笑。しかし、父は私がなぜ大笑いしているのかわからずキョトンとしている。「あのさ、私、あなたの娘なんだけど」 (※認知症が進むにつれて家族関係についての父のおぼつかなさが半端ないことは、以前のブログに書いたとおりです)
そしてちょうどそのとき、玄関から「ただいま〜」という姉の声が聞こえた。
と、父が私の目をのぞき込みながら小声で言った。
「今日のことは話さないでおこう」
むろん私は、手を洗いに洗面所に向かった姉を追いかけ、ことの次第をお腹を抱えて話しましたけど。
怒鳴りあうのは褒められた行為ではないけれど、たまにであれば悪くないかもと思う。
怒鳴ったり大笑いして心が勢いよく揺すぶられると、心に溜まった澱が取れてスッキリするようです。