昨日の朝、いつものように、デイサービスのお迎えの車の到着予定時間の5分前に、ふらふらよたよたと危なげに歩く父を玄関に誘い、椅子に座ってもらい、靴を履かせようとしたその時だった。
「これから、名前をピコにする」と父が私に言った。
え? ピコ?? 何それ???
あまりの突飛な発言に、思わず首をひねりつつ爆笑。
「いいね、ピコちゃん! これからパパのこと、ピコちゃんって呼ぶね」
「ピコちゃん、目やにがついてるからティッシュで拭くね」
「ピコちゃん、マスクしようね」
「はい、ピコちゃん、靴べら使って靴をはいて」
・・・そんなふうに「ピコちゃん」と呼びかけているうちに、なんだか楽しくなってきて、「やれやれ、めんどくさい」という重い気分が吹き飛んで、見かけは相変わらず年老いた父なんだけど、どことなく愛玩動物のような雰囲気が醸されている気がしてきて、あらま、不思議、なんか、かわいがりたくなってくる。
そうやって「ピコちゃん」「ピコちゃん」と呼びかけながら支度を進めていると、父が今度は「娘は、タコだな」と言う。
はぁ? タコ? 私がタコ? なんじゃそりゃ? また爆笑。
「はいはい、私はタコちゃんよ」とかなんとか言っているうちに、お迎えの車が到着して父は出発していった。
普段は起床から見送りまでの1時間半ほど、「俺は家で寝てる」とか「行きたくない」とかゴネられてうんざりだったり、トイレ介助やトイレ掃除や髭剃りなんかでやれやれだったりするので送り出したあとはしばらくグッタリ疲労感が取れないのだけれど、「ピコちゃん・タコちゃん」のおかげで、昨日の朝は、めずらしく朗らかに1日をスタートできた。
3年前の8月に認知症の父と暮らすようになって以来、認知症が進むにつれて朝の送り出しまでの世話がどんどん手がかかるようになってきた。トイレはもちろん、最近は歯磨きや髭剃りの手順もわからないことがままあるので、始終様子を見ながら必要に応じて手伝わなければならない。しかも、この夏の暑さで父のふらつきが激しくて家の中でも移動が大変で、認知症の症状で知覚過敏なのか介助しようとちょっと触れただけで「押すな!」と怒ったりすることもある。なかなかテーブルに着かないから、「朝ご飯、おいしそうよ、お姉ちゃんが忙しいのに作っていってくれたんだから」と言うと、「そんなの当たり前だ」などと不遜な答えが返ってきたりもする。
はぁ? なにさま? である。
昭和一桁生まれの父のオレオレ主義に加えて認知症の物取られ妄想もあって「お前たちが金を取ってる」「警察に行くか」etc.と言い募ってきて辟易していることはブログにしばしば書いてきた通りだ。ちょっとしたことでも「親に向かってなにを言う!?」と怒鳴ってくることもあって、ほんと、腹が立ちすぎて父の背後3歩以内にいたら突き飛ばしてしまいそうな自分が怖くなって慌てて離れることもあるほどだ。
そんな父なのだけれど、こうしてときどきめちゃくちゃ愛嬌のあることを言ったりやったりすることがあるから、食事や着替えの世話から下の世話までなんとかやってられてるんだと思う。
昨晩は、自分を「ピコちゃん」と命名したことは覚えていなかったけれど、夕食のテーブルで姉に話して盛り上がり、再び「ピコちゃん」と呼ぶと相好を崩して目がやさしくなった。施設に入所している母から夜に電話があったときも、ピコちゃん話。母も「いいわねぇ、楽しくて」と笑った。
しかし今朝、「ピコちゃん」と呼びかけて起こそうとしたら、父は「ふざけるな!」と怒鳴るではないか。
はぁ? ふざけたのはどっちさ?ふん!
・・・というわけで、今日は再び、つまんない疲労感に満ちた1日の始まりとあいなりました。
あーあ、ずっとピコちゃんでいてくれればよかったのに。