久しぶりに母を自宅に迎えた晩に、よりによって父が錯乱!?

気になること

さて寝ようか、というまさにその時、リビングから父と姉が大声で言い合っているのが聞こえてきた。土曜の夜、すでに22時を過ぎた頃のことである。
ほとんど自分で体を動かせない母が施設から戻ってきた夕方以降、食事づくり、移動介助、着替えやおむつ替えと休む暇がなかったから、やっとホッとひと息ついたところだったのに。
「やれやれ」だが、さすがに放っておくことはできまい。深呼吸をしてから、いざ私も参入せんと起き上がった。

リビングの扉を開け、とぼけた口調で「こんな夜に、どうしたの〜?」と言いながら足を踏み入れてみたけれど、その程度で場の空気が緩むはずもない。認知症の92歳父がひとたび怒りモードに入ってしまうと、すぐには機嫌が直らないのが常なのだ。

久しぶりに母を家に迎えるためにレンタルしてリビングに備えた介護ベッドの脇に、父は椅子を置いて座っていて、想像したとおり目が妙に据わっていた。その傍らに姉がしゃがんで寄り添っている。

硬直した空気をほぐすべく、とぼけた調子を保ったまま「で、何が問題なのかな?」と問うてみると、父はおもむろに立ち上がり、右手の人差し指をグイと私に向けて強い口調で言い放った。
「お前も、遺産をたくさん取ったんだろ!」

あらま、やっぱりお金の話だと踏んだ私はトーンを変えず、とぼけた口調で反応してみせる。
「えっ? 遺産? 遺産っていってもパパもママも生きてるからもらってないよぉ」
でも、ダメだった。父は憤りつづけた。

父:俺の遺産じゃない、誰かのだ。
私:えっ? えっ? 誰かって誰?
父:そんなことを俺に言わせるな、知ってるくせに。胸に手を当ててみろ。
私:えっ? 胸に手を当ててもねぇ・・・。
姉:パパ、そんなこと言ってないで、もう夜だから寝ようよ。
父:なんだ、寝るだと? 俺は生きるか死ぬかの瀬戸際だっていうのに!
姉:生きるか死ぬかって、まあ、92歳になればいつもそうかもしれないけど、もういいかげんにして寝ましょうよ。
父:(今度は姉に向かって人差し指をグイと向けて)お前はバカだ!!
母:パパ、何を言ってるのかさっぱりわからないわ。
父:(今度は母に向かって人差し指をグイと向けて)お前までそんなだったとは、がっかりだ!!!
私:ねえ、ママも疲れてるんだから寝かせてあげようよ。
父:(再び私に向かって人差し指をグイと向けて)お前が一番のワルだ!!!
私:えっ? 私がワル? 

2022年春に日テレで放映されためちゃくちゃ面白かったドラマです。

思わず、「え〜っ!? 私が悪女ぅ〜?」と田中麻理鈴ばりに手を腰に当ててポーズを決めたくなったが、そんなジョークが通じる相手ではない。

2021年8月に父と同居するようになった私と姉は、こうした父の「被害妄想」および「ものとられ妄想」に付き合わされることすでに何十回何百回と経験し、当初は悪者扱いされることにマジで心を傷つけられていたのだけれど、今やその核心が空洞になった堂々巡りのシュールさに笑いがこみ上げてくるほどに耐性が出来てしまった。ここだけの話、「お前だ!」と決めつける指差しポーズは、私たち姉妹の「おふざけ」のネタにすらなっている。

そんなわけで、私が参入したときから姉はすでに笑いはじめていて、「お前が一番のワルだ!!!」と私が指差されたときにはもう我慢できずにお腹を抱えてヒーヒーと床の上をのたうち回っていた。
しかし、そんなに笑っては父の怒りを逆撫でしてしまうではないか。
とは思ったものの、すでに私にも姉の笑いが感染しつつあり、ついにクックックとお腹を抱えて座り込んで下を向いた。あわよくば、反省の図に見えるかな、と。

しかし怒りに囚われて周囲が見えなくなっている父には、私たちが笑っていようが泣いていようがどうでもいいのかもしれなくて、もちろん論理立てて説得するなんて無理なわけで、どうにかこうにか姉が背中をトントンと叩いたりさすったり首を揉んだりして体の緊張をとり、なだめて寝室に誘うまで、それから20分ほど「警察に行って、はっきりさせよう」「お前らは嘘つきだ」とかなんとか管を巻きつづけたのだった。ふぅ、やれやれ、笑い飛ばしながらも、しんどい、しんどいわ。

思えば、夕食後に母の着替えとおむつ替えに私たちが悪戦苦闘していたあたりから予兆はあった。
自室から「ワォーッ!」というような父の叫びが聞こえ、姉が「どうしたの?」と様子を見に行ったところ「俺を一人にしておくと何をするかわからんぞ」と告げたのだ。
姉と私は「かまちょ(かまってちょうだい)だね」と苦笑いしていたのだが、その時点で相手になってあげていれば、ここまで爆発しなかったかもしれない。しかし、私たちも余裕がなかったのよ、まだ慣れていない母の世話で。

コロナ禍で面会も思うようにできないまま、大腿骨折入院→リハビリ病院→老人保健施設のショートステイ→特別養護老人ホームのショートステイをつないで1年半を過ごしてきた母が、「このまま寝かせられているだけじゃイヤ」と訴えるようになった。とはいえ昨年の10月末に母を自宅に2泊3日で迎えてみて負担の大きさに厳しさを感じていただけに容易に決断はできず、ケアマネさんに相談したのが3月前半のことだった。そして紹介してもらったのが、週末に家にお泊まりしても週末も日中はデイサービスを使えるなど柔軟なサービスを提供してくれる「小規模多機能」の施設だった。
というわけで、金曜の夕方に家に連れてきてもらって一緒に夕飯を食べて寝て、翌朝土曜は朝食後にお迎えが来てくれて夕方に再び家に戻り、日曜の朝食後のお迎えから翌週金曜夕方までショートステイというプランを組んでいただいた。
その新生活が、スタートしたばかり。
で、初の週末が、こうして重い疲労感を残して過ぎていったのでした。

父母の現状に私たちの心身がどこまで耐えられるのか、どこまでやってあげられるのか。
見極めのつかない介護現場からの報告は、ひとまず以上です。