91歳の父の「俺は家族の星になる」発言の裏には、自己肯定感があふれている

日々の楽しみ

かなりボケている91歳の父を札幌から所沢の姉と私が暮らす家に連れてきて、1ヶ月余が過ぎました。

一緒に暮らしていると、離れて生活していたときには見えなかったアレコレに気付かされるものですが、とりわけ印象的なのは、父の自己肯定感の強さです。

心の底から自分を認めている自己肯定感が、父にはある。
しかし、あまりにそれが強すぎて周りが見えなくなると、ただの自己チューになる。で、はた迷惑に感じられることもしばしばですが、その自己肯定の力あってこそ、91歳まで生き抜いてきたのだなぁと感心させられもします。

例えば、父はものすごく頻繁に物をなくします。小銭入れ、カバン、手帳、セーター、その他、さっき手にしていた物すら、どこに置いたかわからなくなる。
今回、札幌から所沢に連れてくる準備にあたっても、健康保険証、介護保険証、銀行通帳など、どれだけ私が探し物に時間をかけたことか。決めてあった置き場所から、おそらく父が「なくさないように」と移動させ、そのことをすっぽりと忘れてしまう。
ところが、私が探偵のように頭を働かせ、探すついでに大掃除をするつもりで各所の埃取りまでしながらやっと見つけても、父は言うんですよ。

「まあ、あれだな、俺はちゃんと見つかるところにしまっているってことだな」
……こうして私の手柄は、俺様の能力に回収されてしまうというわけです。

そして、彼の自己肯定感は、この1ヶ月、さらに高まっているように感じられます。
スパルタン娘sと91歳の父のチャレンジフルな日々にもつづりましたが、デイサービスでのアクティビティへの参加意欲を盛り上げるべく、私たち姉妹はかなりポジティブな声かけをしていて、絵や習字などの作品を持ち帰ると褒めちぎっているので、その効果の表れなのかなとも思います。
加えて、デイサービスのスタッフさんや利用者さんたちも私たち姉妹と同じ姿勢のようで、「歌ったらいい声だと褒められた」「顔のツヤがいいと褒められた」「靴が素敵だと言われた」「パーカーの色の趣味がいいと言われた」etc.と、それはもう父は嬉しそうに繰り返し繰り返し報告してきます。

そして、私たち姉妹が、父の報告をいいねいいねと聞いていると、さらに気持ちが高まってくるのか、こんなことを思わせぶりに言うのである。

「どうやら、俺を注目している動きがあるんだな。きっと話題性があるんだろうな、俺は」

思わず、私たち姉妹は目配せしてクククッと笑いだす。ここまでくると、なんかスゴイ。かなりボケてるからなのか、それとも、もともとの性格なのかは分りません。
しかも、気分サイコーな父はこうも言うのである。

「飛躍と冒険が必要なんだな。やはりタレントがいないとな」

いやいやもう、なんか世界の中心は俺、「俺、 スゴイ」感で世界がはちきれそうだ。
父はたぶん、褒め言葉の栄養吸収率がとても高いのだ。

昨晩は、来週のデイサービスの予定表に「手芸」があることを姉が見つけ、夕食後のテーブルで姉妹で参加を焚き付けていた。
「手芸って何するんだろう?」「91歳で初手芸とか、すごくない!?」「絵画も書道も素敵な作品ができてるんだから、手芸もやらない手はないよね!」「もしマスコットとか作ってきたら、私、カバンに付けて歩くよ」etc.

はじめのうちは迷惑顔で聞いていた父だったが、「そうだなぁ、意外と器用にできるかもしれないなぁ」(←注*父はものすごく不器用です)と、運針するように両手を動かして見せた。

「もー、来週は絶対絶対やってみてね!」と鼓舞する姉妹に、父は言った。

「俺は、家族の星になるのかもしれんぞ」

お空の星になる前に、そうなってほしいものだ、なんて大笑いしながら内心思った私でしたが、実はすでに、父は私たちの星なのかもしれません。

わが家の星、だんだん脚腰が弱くなってきました