スパルタン娘sと91歳の父のチャレンジフルな日々

日々の楽しみ

札幌から父をはるばる所沢に連れてきて、早3週間。
あっという間に過ぎていった感がある。その間に、父は誕生日を迎えて91歳になった。

それにしても、いろいろありました、この3週間。
物理的にも心理的にも、混乱したり衝突したり迷ったり怒ったり笑ったり・・・振り返ると、小規模とはいえ幾重もの山あり谷ありの試行錯誤の日々だった。

まあ、いろいろあるのは当然ですよね。
だって、家族といっても40年くらい離れて生きてきたわけで、急に一緒に暮らすことになったからといって、それぞれの生活リズムや習慣をとっさに理解して尊重しあえるわけじゃない。しかも昔住んだことのある家だとはいえ、今となっては父には不慣れな場所なわけで。

それに父はずいぶんボケちゃって、一人でできないことがたくさんある。できなくても「できる」と言い張ることもあれば、さりげなく手伝ってほしがることもあれば、あきらめてやりたがらないこともある。その自我と自尊心に配慮しつつ、安全を期して環境を整えたり手を貸したりする塩梅の判断が、いちいち面倒くさい。
面白いと思うこともあるけれど、割合でいうと、面倒8割:面白2割といったところ・・・いや、ちょっと厳しすぎるかな、7割:3割に訂正しておこうか(いずれにしても、面倒の割合が圧倒的に多いのだが)。

ま、あらためて言うまでもないけど、家族って面倒くさいよね。

というわけで、父が来てからは家事+諸々の父の世話の負荷が、姉と私にずっしり重い。阿吽の呼吸で分担することがほとんどだが、「えっ、それ、私がやるの?」と互いに譲らない場面では、ジャンケンでどっちがやるかを決めるときもある。

けど、「父が自分でできることは、自分でやってもらう」というスタンスが基本だ。
もちろんそれは、父のボケをできるだけ進ませない、そして、できるだけ体を弱らせないためである。見守るけれど、時間の余裕のあるときは手は出さない。

例えば、布団の上げ下げ。
朝は、布団を畳んで押入れにしまう。夜は、布団を押入れから出して敷く。はじめの数日はやってあげたが、あとは「ご自分でどうぞ」。
札幌の自宅でも、父はずっと布団の上げ下げは自分でやってきた。本人も、「きついけど、これをやっているから筋肉が衰えない」と常々言っていた。91歳になっても続けられれば立派なものだ。これからも、ファイトだっ!

そして服やパジャマはたいてい姉が用意しているが、着たり脱いだりはどんなに時間がかかっても、自分で。
シャワーを浴びる、ヒゲを剃る、顔を洗うのも、自分で。
当然といえば当然だが、手を貸し始めるとキリがない。がんばりたまえ、マイペースでいいから。

しかし、もともと父は家事全般を母任せにしてきたので、家事がほとんどできない。だから、「自分でできること」のうちの100%が自分のことだ。で、それに費やしている時間は長い。
まあ、91歳だもの、仕方がないとも言えるだろうが、ときに家事が全くできない(そして、全くやろうとしない)父に対して、やり場のない憤りが湧いてくる。

さらに腹が立つのは、父がこちらの気配を全く読んでくれないことだ。
たまに姉と私が息抜きに見逃し配信のドラマなんかを見ていても、「あれがない」「これがうまく動かない」「腰が痛い」「さて、寝るかな」などと寄ってきては中断させられる。家事やら世話やらを済ませてホッとしているところなのに、おいおい、どこまでマイペースを貫くのか。

そんな父との生活の中で、意外だったのが、姉がかなりの教育娘であることだ。
「ほら、姿勢を正して!」「ゴミは、どこに捨てるの?ゴミ箱でしょ」「忘れないうちに日記に書かなきゃ。ほら、持ってきて、ここで書いて!」と、それはもう、しょっちゅうしょっちゅう檄を飛ばす。
加えて、何ヶ月前かにダーウィンについての新聞記事を読んだことを父がしばしば口にするのに目を付けて、図書館の児童書コーナーで伝記を借りてきて与え、父が興味を示すと、こんどは『種の起源』をネット通販で注文して誕生日にプレゼントして、読み聞かせしたりもする。
父親の教育にかける姉の情熱は、高まる一方だ。

そして、姉と一緒に私も熱心に焚き付けているのが、デイケアでのアクティビティ参加である。
父が週4日行くことになった施設では、毎日の「貯筋体操」や歌をはじめ、間違い探しや数独などのプリントに取り組む「大人の学校」のほかに、曜日によって絵画や書道などのプログラムがある。
ところが父は、「俺は絵は下手だから嫌だ」「小学校の先生に習字が下手だと言われてから、絶対にやらないんだ」などと頑なに拒んでいた。連絡帳には、スタッフの方々から「お誘いしましたが参加されませんでした」と書かれてくるばかりで、一向にやる気を起こさない頑固な父だった。

しかも、そのような趣味を広げる格好の機会が与えられているにもかかわらず父は、「あそこには自由がない。檻に入れられた犬のような気がしてくる」と帰るなり愚痴をこぼしたり、早帰りの人たちが去ってしまう15時半頃にしきりと姉か私に電話してきたりする。そのわりには、夕飯時に根ほり葉ほり話を聞いてみると、「歌がうまいとほめられた」とか「スタッフの女の子が碁を教えてくれと言ってくる」とか「顔のツヤがいいとほめてもらった」とか「マッサージが気持ちよかった」などと嬉しそうに話し出すのである。すべての時間が退屈なわけではなく、何かに集中したり、ほかの人たちと会話したり、楽しく過ごしている時間もあることがうかがえる。
さすれば必要なのは、さらに充実した時間にしようとする自らの姿勢じゃなかろうか。

というわけで、アクティビティである。
幼少時からの苦手意識を振り払い、どんどんチャレンジすればいいではないか。
で、姉妹揃って焚き付ける。
「絵も書も、下手とか上手とかじゃなく、味わいだよね」
「これまで使ってこなかった右脳が活性化されて、きっといいことがあるよ」
「やっちゃえやっちゃえ、91歳になったら怖いものなし!」
「道具も材料も揃えてくれるんだから、もったいないよね」
・・・などなど、毎晩思いつくままに言葉を連ねて父の背中をぐいぐい押していたら、誕生日の日に、とうとう絵手紙を手に帰ってきたではないか。
やるじゃん!

そして、おとといは書道にも参加してきたという。ブラボー!

骨折で入院中の母とはなかなか連絡が取れず、コロナ禍の面会禁止で札幌に住む妹も会いに行くことができずにいるけれど、医師からは順調にリハビリを進めていると報告があった。とはいえ、あと数ヶ月はかかりそうかな。

そんなわけで、かなりボケた91歳の父と、私たちスパルタン娘sのチャレンジは、いましばらく続く。(いつまで?・・・は、とりあえず考えないようにしてます。。。)