デカ文字カレンダーと父の記憶と思考回路

日々の楽しみ

もうすぐ91歳になる父は、物忘れがひどいです。
最近あったことも、これからの予定も、すぐに忘れてしまう。何度言っても何度確かめても、「そんなことは俺は聞いてない」「そんなことは俺は知らない」。

だから昨年来、姉と私が1ヶ月〜1ヶ月半ごとに交代で札幌の父母の家に行くたびに、食堂の壁に掛けたデカ文字カレンダーと父の手帳の両方に、その後1〜2ヶ月の予定を書き込むようにしていた。デイケア、ヘルパーさん、作業療法士さん、訪問診療などの日程は、それを見さえすれば父母だけでも確認ができた。

先月8月12日に母が大腿骨を折って入院してしまい、急遽エイヤッと札幌に飛んでいった私が到着後すぐにしたのは、デカ文字カレンダーの12日に「ママ骨折入院」と書き込むことだった。そして予定が決まっていくごとに、16日「病院で説明聞く」、18日「ママ手術」と追加していった。

食堂のテーブルでは、父と母が向かい合わせで座り、私は父と母の隣辺に腰掛けるのが常で、座った私のちょうど後ろの壁にデカ文字カレンダーが掛けてあるという位置関係になる。
母が入院して不在でも座る場所は変えなかったので、朝食、昼食、おやつ、夕食のたびに父は私の右肩をかすめて私の後ろの壁をじっと凝視し、「今日は何日だ?」「今日は何曜日だ?」「ママが骨折したのは12日だったな」「18日が手術なんだな」などと声に出して、それはもう何度も何度も確認するのだった。

母の不在が数ヶ月に及ぶという予測のもと、姉と私が暮らす所沢の家でしばらく父の世話をしようという案が出たのが13日で、翌日14日には、21日の飛行機を予約した。母が大腿骨骨折で札幌に飛んできて、父を所沢に連れていくことになりましたに記したように、一人で暮らせないけれど施設には絶対に入りたくないという父の意思を汲んでの結論でしたが、その後、父の心は揺れに揺れました。

所沢行きの結論を出してからも食堂に座るたびに、父は眉根に皺をよせ、私の右肩をかすめてデカ文字カレンダーを凝視しながら、「21日、所沢へ」と読みあげ、視線を私に移して「お前は、21日に帰るんだな?」と尋ねてくる。
私が「パパも一緒に行くんだよ」と言うと、それはもう何度も何度も聞いているはずなのに父はまるで初めてそれを知ったかのように、もともと小さかったのが年齢とともにさらに小さくなった目を丸く見開いて、「えーーーっ!?」と驚きの声をあげるのだった。

結論を出して3日くらいは、その「えーーーっ!?」のあとに、「そうなのか? それは無理だ。ママを一人にはできない、俺はここに一人で残る」と不安をつのらせて主張することが多かった。そのたびに私は、母の入院が長引くこと、札幌にいてもコロナで面会はできないこと、一人で暮らすのは難しいことなどのシチュエーションを一つ一つ説明し、父の気持ちを汲み取りながら父が納得するまで話し合う・・・ということを繰り返した。
朝食、昼食、おやつ、夕食、それぞれの時間に何度か繰り返すこともあるものだから、父のえーーーっ!?」を聞くと、私の胃はキリキリと痛み、「いったい所沢に連れていくことができるのか?」とめまいがしそうになるのだった。
とはいえ、繰り返し繰り返し問答するうちに理由と結論がセットで記憶に刻まれていくのだろうか、「えーーーっ!?」と驚いたあとで「そうだったか、お前と一緒に行くんだったな」と言葉を続けることが徐々に増えていった。

そんな経緯があったので、出発前日の朝食のテーブルで「21日は明日か。明日、所沢に行くのか?」と聞かれ、「そうよ、明日、一緒に行くのよ」と私が答えたあとで、父が「えーーーっ!?」と驚きの声をあげたときは、久しぶりに胃がキリキリっと締まって、「まさかこの期に及んで?」と身構えずにはいられなかった。

しかし、私の右肩をかすめてデカ文字カレンダーを凝視していた父が言ったのは、

「そうか、サタデー、サンデー、だな」

・・・えっ!?

一瞬言葉を失って、私は振り返った。

あらためて見てみれば、曜日表記が英語で、日曜はじまりのカレンダーなのだった。

どうやら父は、出発が土曜日だという認識はあったのだが、月曜はじまりのカレンダーなら右から2列目であるはずの土曜日が一番右列にあり、にわかに混乱してしまったようだった。
やれやれ、予想外の父の思考回路に肩透かしを食らってしまった。


所沢の家にもデカ文字カレンダーは必須だと思ったので、荷造りをしながら「見慣れたカレンダーを送っておくほうがいいかな?」という考えが一瞬頭をよぎったけれど、食堂の壁からそれを取り外してしまうと、ここでの時間が止まってしまうような気がして、昨年末にヘルパーステーションからいただいて未使用のまま保管してあった別のカレンダーを段ボール箱に入れた。
そして届いてすぐに所沢の食堂にも貼ったのだが、姉と私に予定を口頭で確認するだけで事足りているのか、場所が変わって行動パターンが変化したのか、なぜか父はこれまでそれをじっくりと見ることがない。
父と私が座る位置もデカ文字カレンダーの位置も札幌とほぼ同じなのに、父の視線が私の右肩をかすめてカレンダーに向かわないのが、なんだか物足りない。

父とともに所沢に戻ってきた日から、今日でちょうど2週間になりました。