日本の介護制度や高齢者医療の現実を知るべし。受け身で流されているとマズイ

気になること

私の老父母は遠方に暮らしていて、父は要介護1、母は要介護2。
ケアマネさんが父母の介護サービス全般に目配りしてくれいて、ヘルパーさん2人、訪問リハビリの理学療法士さんや訪問診療のお医者さんや薬局さんにもお世話になっている。
父母の近所に住む妹夫婦は日頃から必要に応じて手を貸してくれていて、姉と私も仕事の都合をつけて1〜1.5ヶ月周期で滞在して様子を見守るようにしている。

だから、すでに親の介護はどっぷり始まっているのだが、東田勉著『親の介護をする前に読む本』(講談社現代新書2016年12月)を図書館でみつけて手にしたら、おやおや、まだ知らないことがたくさん詰まってるじゃないか。というわけで、読んでみた。

著者は2005年から2007年まで介護雑誌を編集していたというだけあって、取り上げているテーマの幅が広い。さまざまな介護事例をはじめ、痛ましい介護心中や施設での虐待事件などを紹介しつつ、日本の制度の歴史背景と変遷、海外との比較、現状の課題にまで視野を広げてくれる。

介護には、小さなトラブルや大きな事件が満ちている。次にどんな展開が待ち受けているのか、どんな問題が降りかかってくるのか予測ができない。今はなんとかなっていても、知っておけば備えになり、状況の把握や懸命な選択の助けになってくれるかもしれない、そんな内容が盛りだくさんだった。

良心的な介護施設をみつける方法として紹介されていた、ベッド、テーブル、車椅子、食事姿勢、排泄ケア、入浴ケアについての説明は、自宅介護の現状点検の参考にもなった。
あと、「いい介護施設はオムツ外しに取り組んでいる」なんて知らなかった。最終的には、排泄ケアが人の尊厳に大きくかかわってくる。心にとどめておこうと思う。

「医師は教えてくれない認知症の『真実』」という章も、インパクトが大きかった。
昨年来、父の認知機能の衰えを目の当たりにして病院に連れていくべきかどうか迷っていただけに、「加齢による年相応のボケを認知症という病気にして、無理に薬で治そうとするのはやめたほうがいい」という言葉に迷いが払拭された。
その言葉の背景には、1999年にアルツハイマー型認知症の初の治療薬が発売され、その後4〜5種の薬態勢が整ったことで認知症の診断数が増えてきたという社会的な変化がある。その変化のなかで、認知症の診断→抗認知症薬の処方→かえって悪化→精神科にまわされて抗精神病薬の処方→うつになって動けなくなる→どんどん動けなくなる・・・という悪循環に陥るケースが増加したと知ると、やはり「ボケてても、なんとか生活できればいいよね」と寛容に受け止めるほうが懸命なのだと確信を持てた。

口腔ケア、延命治療、緩和医療の問題など、老人医療には課題が山積していることもわかった。
とりわけ終末期での点滴や胃瘻などの問題は衝撃的だ。枯れていこうとする身体にさまざまなものを注入すると、むくみが発生し、身体が水浸しのような状態になってしまう。そうなると、死に至る過程での苦痛が生じるうえに、死後、遺体から水があふれて棺桶から流れ出るような事態を避けるために水抜きの処置が必要になるというから驚きだ。
私なら、枯れるように死んでいきたいと、読みながら思った。終末医療のスタンダードが、「死」に着地しやすい方法になることを願う。

時の流れのなかで、法律や制度は変わり、それにともなって収益構造が暫定的に定る。そして介護にまつわる考え方や、医療や介護に従事する人たちの状況や待遇も揺れ動く。そんな揺れ動きのなかで、誰もが、たまたまその時に介護したり介護されたりするのだなぁと、しみじみ思う。
2016年12月に出版されたこの本で解かれている現実が、今、2021年の現実と全く同じというわけではないだろう。その間に改善されたこともあるかもしれないし、むしろ後退してしまったこともあるかもしれない。
より望ましい道を探るには、アンテナを高く伸ばして情報を得るとともに、「人として、何が望ましいのか」を主体的に考えながら現実を直視していかなければ。そんなことにも気づかせてくれた一冊でした。