先ごろ90歳になった父は、もともと家事能力が限りなくゼロに近く、加えて最近とみに認知機能の不具合が目立つようになってきた。
そんな父に、困難が降りかかった。
突然の母の入院で、一人暮らしを余儀なくされてしまったのである。
そこで私は、父母のいる札幌に8月中旬から9月中旬まで滞在し、独居生活のサポート態勢を整えるとともに、父が自分で朝食を用意したりお茶を入れたりできるように仕組みを考え、習慣化を試み、ヘルパーさんに頼むことを整理して伝えてきた。
父のもとを去る頃には、「完璧に大丈夫」とは言えないものの、「たぶん、なんとかやっていけるんじゃないか」という程度には対策できたと思う。
とりわけ朝食のサラダは、このブログに父の朝食の合理化・仕組化・習慣化に取り組んだことを書いた時点では、保存容器に分けて入れたレタス、キャロットサラダ、ブロッコリーなどを自分で盛り付けるようにしていたのだが、ヘルパーさんの提案で格段に進化していた。
実は、進化の前段にはちょっとした事件があった。
ある日、冷蔵庫を開けてみたら空の保存容器が並んでいたのである。
あれれー? 何だこりゃ?
全部食べてしまったのに、朝食後、父は丁寧に容器を冷蔵庫に戻してしまったらしい。
ちょうどその日は、ヘルパーさんが来て一緒に今後の確認をしてくれることになっていたので、そのままにしておいて見ていただいた。
冷蔵庫の様子を一瞥したヘルパーさんはニッコリと微笑み、明快な口調で言った。
「一食分ずつ、容器に入れましょう」
それを聞いて、スカッと不安が晴れた。
ほぉ、そうか! そういう手があったか!
いいじゃないか、いいじゃないか♪ そうすれば、父は毎朝1つずつ取り出して食べるだけでいい。
レタスだけいっぱい食べて足りなくなるとか、ブロッコリーだけ食べ忘れて残る・・・などというアクシデントは起こらない。
心配ごとが減るではないか。
というわけで、とりあえず私もやってみた。
父は最初、その仕組みが理解できずに3日分の容器を重ねて冷蔵庫から出してきて私を笑わせてくれたが、次の日からは「これはどうするんだったか?」と私に聞きながらではあったが、1食分を取り出すことに馴染んでいった。
実際に私も食べてみたが、3日目でもレタスはパリっとしたままだったし、キャロットサラダのドレッシングが滲み出ることもなく、野菜の水分が微妙に行き届くからかハムも乾燥せず、全体的にとてもおいしく食べられた。
これなら大丈夫。
自分でも試してみて確信を持てたので、出発前日が月曜でちょうどヘルパーさんが来てくれる日だったので、4日分作っていただいた。
ヘルパーさんは週に2回来てくれるから、月曜日は4つ、金曜日は3つ作ってもらえば、父は毎朝おいしいサラダセットが食べられる。
ありがたいなー、こうやって作り置きしていただけるなんて。
彩りよく盛り付けられた野菜たちが、冷蔵庫を開けると待っている。
父の1日のスタートが、きっとハッピーになる。
ほんと、安心。
・・・と思っていたのだが、いよいよ本格始動してみたら、月曜日にヘルパーさんから電話があった。
「サラダセットが2つ、残っているんですがどうしますか?」
えっ!? ほぼ毎朝電話して、「朝ごはん食べた?」と聞くと、「食べてるところだ」「食べたところだ」「食ったぞ」などという返事だったのだが。
むむむ・・・? 食べていなかった日があったということか?・・・仕方あるまい。
「古いのと新しいのが混ざると区別できないと思うので、もったいないけど処分して、新しいのを4つ作ってください」とお願いした。
父に電話で聞いてみると、「うーん、食べなかった日があったかなぁ? わからんなぁ・・・」。
サラダを食べなかった日、父は何を食べたんだろう?
お気に入りのバタートーストだけ食べたのだろうか?
それとも何も食べてなかったとか?
これからは、「サラダも食べてる?」「サラダも食べた?」と念押しして確認しなければ。
日によって、あるいは同じ日でも時間によって、父の受け答えはしっかりしているときと、なんだか混乱しているときがある。
直近のことをすぐに忘れてしまいがちな父は、「食べた」と言っても食べてないことがあるのかもしれない。「薬飲んだ?」と聞いて「あ、しまった飲んでない」と言っても、もしかしたらすでに飲んでいるのかもしれない。でも、こればかりはどうにも確認ができない。
昨日は「明日のデイケアから確認の電話があった?」と聞いたら「ないなぁ」と言っていたのだけれど、心配になって今朝デイケア施設に電話してみると「昨日、確認のお電話をしたら、お元気そうに『行きます』っておっしゃいましたよ」と担当者さん。
なかなか一筋縄ではいかない遠隔介護である。
でもまあ、今日もなんとかなっている。
電話の向こうの声はご機嫌みたいだから、きっと、大丈夫。