ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社2019年6月発行)を読んだ。
いや〜、よかった。
ほんと、大切なことをじんわりと心に響かせてくれる本だった。
発行以来、書店で平積みになっていたり、いろんな媒体の書評で紹介されていたりしているのを横目で見つつ、今に至ってついに読めたのだが、社会がこういう本を欲している、共感する人がたくさんいる、そのことが、私にはなんだかひどくうれしく思える。
こういう本がベストセラーになるなら、日本社会もまだ捨てたもんじゃない。
20年以上英国に住むブレイディ・みかこさんは、英国や日本の社会、政治、経済についていつも多様で柔軟な視点で読み解いてくれるノンフィクション作家。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では、英国のブライトンに暮らし、「元底辺校」に通うティーンエイジャーの息子の学校での環境や、地域に大勢いる移民家庭の友人たちとの関係を通して英国社会の現在を描いてみせてくれる。
英国には多様な国々からの移民がたくさんいて、学校にはさまざまな人種の子どもたちがいる。長年の保守党政権の緊縮財政の影響は学校や保育所にも顕著に表れていて、貧富の格差が拡大して日々の食事にも困る家庭も少なくない。
そんな「多様性格差」というしかないような社会状況を踏まえ、学校では「シティズンシップ・エデュケーション」として価値観が違う人の立場で物事を考える教育が行われていたり、地域社会ではバザーや緊急支援などのボランティアが行われたりしている。
社会的格差の拡大も、多人種移民の増加も、日本は英国を後追いしているかに感じられる今、ブレイディ・みかこさんが描く英国社会から学ぶことは多い。
タイトルは、息子が「青いペンで、ノートの端に小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡」で書いていた言葉だという。
アイルランド系の夫とのあいだに生まれた息子は、多様性格差の激しい英国社会でどんなアイデンティティを育んでいくのか。日本人である母はときに自分に向けられる差別を重ねながらも、同化しすぎることなく距離をとりつつ見守る。
ときにクスっと笑わせられたり、じんわり目頭を熱くさせられたりしながら、ぐいぐい引き込まれた。
人種差別、貧富の格差、地域格差、親子関係、性教育・・・ややもすると袋小路に追い込まれがちな難しいテーマだが、「そうかそうか、こう考えれば受け入れられるんだな」「こう対応すれば次の一歩がふみだせるんだな」と思えてくる。
生きることが大変な息苦しい社会状況にあっても、分断や否定ではない選択肢はある。凝り固まった「こうあるべき」に固執せず、やわらかな感性をもつ次世代の可能性を見守り育てることこそ大人がすべきことなんだと教えてもらった。
読後、マッサージ後のような柔らかな心になっていた。
なんといっても、母ブレイディ・みかこさんと息子の会話の描写がいい。想定外の視点から投げられてくる息子の言葉にハッとさせられることが多かった。
私も息子に対してこんな風に受けとめたり反応できていたらよかったのにな、と思わずにはいられなかったが、それはもう手遅れなので、せめて孫たちにはかくありたいと思う。
子育てエッセイとしても教育論・社会論としても読める秀作。時間をおいて、また読み返したい。