ぬか漬け再開しました! すごく美味しいし、すごく幸せになるのは、ぬか床に心が宿るからかも

日々の楽しみ

久しぶりに、ぬか床を仕込みました。

塩を溶かした水と米ぬかを混ぜ、クズ野菜を入れて朝晩かき混ぜる。
「まだかな〜、まだかな〜」と、うずうずしながら過ごすこと約1週間。
ある日、「ああ、これこれ、この香り」というほんのり酸っぱい発酵香が漂ってきた。

そこで、キュウリ、ナス、カブ、ニンジンなどを次々と漬けては食べ、漬けては食べしているという幸せな日々です。
はじめは塩味が若干とんがっていたのが、だんだんまろやかになってきて、3週間を超えた今では、いや〜、うまいっす!
ポリっと噛むと、ジュワっと乳酸+野菜の汁が出てきて、馥郁とした香りが口に広がる。

ああ、こんなに美味しいんだもの、もっとはやく再開すればよかったな。

やめてしまったのは、かれこれ8年前くらい。
東日本大震災の頃は、まだやっていたんだよなぁ。大津波に次々と家が流されていく恐ろしい災害の映像を目の当たりにして悲嘆にくれながら、人の命もだが、いかほどの数のぬか床が喪失してしまっただろうかと怖れおののいたのを覚えている。ぬか床は、人の営みと命の象徴でもあるように思えたのだった。

震災後、私は地域の仲間たちと自然エネルギーにまつわる映画の上映会を企画したり、東京の森のスギ・ヒノキの床材を販売するソーシャル・ビジネスを立ち上げたりするうちに、忙しさにかまけてぬか床を放ったらかしにしてしまった。冷蔵庫に入れたまま数ヶ月後、残念な状態になってしまったぬか床にさよならした。

今こうして、ぬか漬けを再開してみて思う。
朝晩、ぬか床を混ぜるという行為は、ほんの1分ほどしかかからない。前後の手洗いを入れたとて、せいぜい3分。野菜を洗って漬け込んだり取り出したりする作業を含めても5分を超えないだろう。おそらく、歯磨きよりも短くて済む。
なのに8年前のあのとき続けられなかったのは、「心ここに在らず」だったからなのだ、と今になって悟る。

「忙」の字は、心+亡。
白川静『常用字解』をひもとくと、
ぼんやりの意味とする。「いそがしい、あわただしい」の意味に使用するのは、唐代(七世紀〜九世紀)以後のことであるらしい。
とある。
忙しい、忙しいと駆けずり回りながら、その実、私は心を亡くしてぼんやりと過ごしていただけなのかもしれない。なんてこった。

病気を経て、会社をたたみ、さて、次は何をしよう?と考えていた矢先に新型コロナウイルス感染症が現れて、立ちすくみ、思いあぐね、stay homeの自粛生活の数ヶ月を送ってきた。
キッチンに立つとなぜか落ち着くので、パンを焼いたり有機野菜の共同購入を始めたり、庭に野菜の苗を植えたりするうちに、ぬか漬けも復活した。

そうか、そういうことだったのか。
そうするうちに、心が戻ってきたんだ。
そんな気がする。

新たな忙しさを見つけるまえに、ぬか漬けを再開できてよかった。

これからは、ぬか床を混ぜる心の余裕がなくなるほど忙しくなってはならぬぞ。
パリポリとぬか漬けを噛み締めながら、自分に言い聞かせています。

ぬか漬けの先生は、こちら。
解説がわかりやすい。
容器は、野田ホーロー。
玄米を精米しながら糠を増やしていきます。