発見いっぱい原田病日記|その12|ヒバリのさえずりは聞こえるのに、姿が見えない

原田病日記

春になると、「ピチュピチュ、ピーチュル、ピチュピチュ、ピーチュル」と、ヒバリの甲高いさえずりが聞こえる。賑やかで、かわいい声だ。
私が住んでいる所沢には米軍基地があって、その広々とした原っぱのような敷地に沿って歩いていると、聞こえてくるのである。

ヒバリは、さえずりながら垂直にぐんぐん空高く上昇していく。
中学生の頃、通学路だったこの基地沿いの道を歩きながら、ピチュピチュと上昇していく小さな黒い点を見つけると、なんだかうれしくなったものだ。
だって、なかなか難しいんですよ、広い広い空間のなかでその小さな点をキャッチするのは。

だけど、中学を卒業してからはほとんど基地沿いを通ることはなくなり、社会人になってからは所沢を離れ、長年、ヒバリと出会う機会はなかった。

2年ほど前に所沢に戻ってきて、ときどき基地沿いの道を歩くようになった。とくにこの春は、運動不足にならないようによく歩いている。そこで耳を楽しませてくれているのが、ヒバリの鳴き声なのだ。

聞こえると、つい、かつてのように空中にその姿を探してしまう。ピチュピチュと揺れながら上昇していく小さな黒い点をつきとめたくて。

だけど、どうにもこうにも、私にはヒバリの姿を見定めることができないのだ。悲しいことに。
というのも、原田病を発症して以来、ステロイド治療によって炎症が治ってからも、空がクリアに見えなくなってしまったのだ。

快晴の日に、「わー、雲ひとつない青空だな〜」と見上げたとて、なんというかボヤっと靄がかかって見えるのだ。しかも靄だけではない。黒っぽい点々や、周囲にハレーションを起こしたような灰色っぽい点々や、ニョロっとした糸のようなものやらがもぞもぞと浮かんで見えるのだ。

そんな点々やら何やらが視界にうごめいている状態では、むろんヒバリの小さい黒い点を見極められるはずもない。点々のうちのどれかがヒバリかもしれないけれど、特定するなんてムリムリ、無理なんである。グスン。

あーあ、もうヒバリがぐんぐん空に向かって羽ばたいている姿は見れないんだなー。
……と、つい感傷的になってしまいそうになって、思う。

ま、私の場合、原田病が引き金になっていわゆる老化現象が強化されたきらいがあるとはいえ、そもそもそういう現象がどんどん出てくるお年頃なのだ。
かすみ目、つかれ目、視力低下などは、半世紀以上生きてきた人たちとってはごく一般的な症状の部類だろう。

空を見上げ、自分の視野をうごめく諸々を知覚しつつ、たぶん、感傷的になる余裕があるうちは、病気の再発というほどには悪化していないのだろうと推測する。もし再発の兆候だったら、もっとびっくりするほどの見えなさだと思うから。

常に私の心のなかには、再発するんじゃないかという怖れがある。しかも「見えづらさ」を測定するってなかなか難しいものなのだ。
でもきっと、いまのところは大丈夫。
ヒバリの姿を心に描きつつ、今日もさえずりを聴きながら歩こう。