どこを切り取っても美しい映画『マイ・ブック・ショップ』に感じた、女性起業家へのあたたかな眼差しについて

日々の楽しみ

DVDで『マイ・ブック・ショップ』を観た。心に豊かな余韻がじんわりと広がった。幾重にも愛おしさがこみあげてくる映画だった。

最後の場面で、ナレーションが初めて「私」を主語にして語られたとき、私は軽くのけぞってしまった。そうかそうか、この物語は「彼女」が語っていたのか! びっくりだ。なるほど、そういうオチだったとは。
それは軽いウィンクのような、微笑ましいといってもいいような仕掛けだったのだが、私は勝手に全く異なるどんでん返しを期待し妄想しながら観ていたから、肩透かしをくらったように動転してしまい、それに続く字幕を上滑りして言葉を掴みそこねてしまった。
とはいえ掴みそこねたナレーションは数行のことだったし、うしろ髪を引かれつつも意外な結末にしみじみとさせられてもいたので、なんとなく、その時はそのまま終わりにしてしまった。

だけど、どうしても最後のナレーションを掴みそこねたのが気になって気になって、2日後、借りていたDVDを返却する前にもう一度、最初から観ることにした。
早送りして最後のシーンだけ確認することもできたのにそうしなかったのは、結末への道筋をもう一度辿り直してみたかったのと、絵画のように美しい一場面一場面の光と影と色彩を再度味わいたかったからでもある。

そうして二度観たわけだが、すごくよかった。一度目には見逃していた気づきがいくつもあった。いい映画というのは、繰り返し観るたびに味わいが深まるものなのだなぁと感じ入った。

物語の舞台は1959年、イギリスの海辺の小さな町。
書店が一軒もない田舎町で、戦争で夫を亡くした女性フローレンス・グリーンが小さなブック・ショップを開業する。町の有力者のガマート夫人は、それを快く思わず嫌がらせを重ね、ついにはフローレンスが店舗兼自宅として購入した趣のある『オールド・ハウス』を、政治家の甥が議会を通した新法を盾に町の財産として取り上げてしまう……と乱暴に要約してしまうと、「ふーん、単なる“いじめ物語”なんだ」と思っちゃいますよね。でも、そうじゃない。まだ観てないあなたには、ぜひ観てほしい。きっと深い深い豊かな含蓄に心を打たれるはず。

この物語をフローレンス VS ガマート夫人の対立関係に焦点をしぼって切りとるなら、完全にガマート夫人の勝ちである。「勧善懲悪」なんかじゃなくて、「憎まれっ子世に憚る」。意地悪・狡猾・財力で勝るガマート夫人に軍配はあがってしまうのだ。
でも結末では、そのシビアな「勝敗」からスッと視線が外される。そして勝敗に代わってフォーカスされるのは、本および書店への愛なのである。フローレンスの勇気と情熱は、時を超えてつながれていくのだ。なんという救いだろう。その、ふいに訪れる救いの展開に、ジンと熱い思いが胸に湧き出てきた。

これから起業しようとする女性には必見!

マイ・ブック・ショップ』の公式サイトの「About Movie」には、「保守的なイギリスの町に小さな変革を起こそうとした女性のささやかな奮闘記」と表現されている。たしかに「奮闘記」ともいえる。でも、二度観たあとであれこれ反芻しているうちに、これは女性起業家の「失敗談」でもあるよなぁと私は思い至った。

フローレンスは、「好きなこと」で起業した。
彼女らしく趣味のよい「素敵な店」を設え、町の人たちのためになる良質な本をセレクトして商売を始めた。力を尽くせば成功できると、彼女は強い信念を持っていた。
亡き夫との夢でもあった書店を開業して奮闘するフローレンスの姿に、映画を観ている私たちは共感し、彼女の事業が成功することを祈らずにはいられない。

時代は1950年代、イギリスでも女性が起業するのにどれほどの勇気を要したことだろうか。おまけにフローレンスは、保守的な片田舎では「よそもの」だ。
地域の人たちの力関係や習性に、彼女はとても疎い。にもかかわらず、彼女は自身の志をかたくなに貫いてしまうのだ。地元の有力者の意にそぐわないと察しながらも。
彼女は、権力者の意に沿うようにみせかけて機を狙って攻めに出ることを画策したり、有力者の取り巻きを懐柔したりするような狡猾さは持ち合わせていない。妥協して店舗物件を変えるような柔軟性もない。ひたすら実直に、「マイ・ブック・ショップ」の意義を確信して前に進んでいく。その結果、完璧にハブられてしまったのだ。商売を続けられるはずもない。

理解者であり親愛の情を寄せてくれる老紳士ブランディッシュは、ダンディで不器用な愛すべきジェントルマンとして描かれ、フローレンスとの抑制の効いたロマンスもこの映画に深い魅力を添えているのだが、所詮、彼は偏屈な読書好きの変わり者でしかなく、権力者のいびりから彼女を守る術もなく撃沈してしまう(と、また乱暴に要約してしまうと元も子もないな。その繊細な描写を、ぜひ映画を観て味わってほしい)。

「好きなこと」で起業することの良し悪しは議論になるところで、意見はわかれる。「好きなこと」は趣味にとどめておくべきという意見、好きだからこそ事業にすべきという意見もある。その実、「好きなこと」で起業して成功した人も失敗した人もいる。また、「素敵な店」をつくって良質な商品を売れば繁盛するかという論点では、いかなるマーケティングのノウハウを駆使しようとも必ず成功するとは言えないのが現実の厳しさだ。そして地域で商売をする者としての地元民との関わり方にも正解があるわけではないし、ましてや「よそもの」が地域に根ざしていくことは並大抵なことではない。
フローレンスの痛い失敗から、あなたは何を学ぶだろうか。

とはいえ、「フローレンスを起業の反面教師にしなさい」と言いたいわけではない。というのも、この映画の結末から私は「失敗することは悪いことじゃない」というメッセージを受け取ったようにも感じるからだ。
起業するのは、もちろん事業を成立させ、お金を回し、利益を出していくことが目的だ。でも、それだけではない。大切な価値を創っていく、伝えていく、広げていくこともまた起業の目的である。そして、前者がうまくいかなかったとしても、後者がなんらかの形で引き継がれていくことがあることを、フローレンスの失敗物語は教えてくれるのである。「勇気と情熱を持って!」と優しく耳元で囁やかれたようにさえ私は感じた。

イザベル・コイシェ監督は、1960年スペインのバルセロナ生まれの女性。
この映画のナレーションを務めたのは、フランソワ・トリュフォー監督の『華氏451』(1967)で主演した女優のジュリー・クリスティ。レイ・ブラッドベリの原作本『華氏451』は、フローレンスと老紳士ブランディッシュをつなぐ赤い糸のような本でもある。公式ホームページには「コイシェ監督は、この声のキャスティングはトリュフォー作品へのオマージュと語っている」とある。幾重にも幾重にも味わい深すぎる映画だ。

メランコリックな海辺の自然や田舎町、統一感のある趣味のよいブック・ショップ、上流階級のガマート夫妻の屋敷、本を通してフローレンスと親愛の情を深めていく老紳士ブランディッシュの古い館……どのシーンを切り取っても美しい『マイ・ブック・ショップ』は、2018年のスペインのアカデミー賞と称される『ゴヤ賞』での作品賞・監督賞・脚色賞をはじめ多くの映画賞で表彰されている。
英国の文学賞であるブッカー賞を受賞した原作のペネロピ・フィッツジェラルド『ブックショップ』も、読んでみなくちゃ。