原田病を発症した私は、2015年12月28日から2016年1月11日までの2週間、三鷹市にあるK医科大学附属病院に入院した。入院中のほとんどはスタンダードな四人部屋で過ごしたが、二人部屋に移された日が2日あった。いわゆる「差額ベッド代」を払ってのことである。
「差額ベッド代」については、この「発見いっぱい原田病日記」をつづり始めた1年半あまり前からずっと書きたいと思っていた。と言うと、まるでこのテーマを大切に温めてきたかのように聞こえるが、実のところ、恥ずかしさと後悔が混じった妙にチクチクした気持ちが妨げとなって、なかなか書けなかったというのが正直なところだ。
進まぬ筆を手に(というかキーボードに手をのせて、だが笑)、「なぜ私はこんな恥ずかしさと後悔が混じった妙にチクチクした気持ちになるのか?」と自問してみた。
すると、いやいやどっこい、ここで目を逸らさずにちゃんと考察しておくことは、未来の私にとっても、あるいは同じような境遇にいつか合うかもしれない誰かのためにもなるかもしれないと思うに至った。
というわけで今回は、恥を忍んで赤裸々に「差額ベッド代」について言語化してみる。
妙なチクチクの源にあるのは、自己責任感と経済状態
入院すると、いくつもの書類にサインをさせられる。
私の場合、病気を診断するための腰椎穿刺と蛍光眼底造影検査、そして原田病の診断がついてからはステロイドパルス療法を受けることへの「同意書」などがあった。
それらの書類には控えが今も手元に残っているものもあるが、ほかにもサインした書類があったような気がするのだが控えが残っていないものもある。例えば、「差額ベッド代を払わなければならない病室に移る必要が出た場合はそれを了承します」的な内容の書類があったように記憶しているのだが手元には残っておらず、もしかしたら記憶違いで、口頭で問われて了承しただけだったのかもしれないのだが、いずれにしても、何らかの形で「差額ベッド代がかかる場合がある」ということを入院時に知らされ、何らかの形で私が了承を示したことは確かだ。
というのも、実際に「明日から差額が必要になる二人部屋になります」と看護師長から言われたとき、「えっ? しまった! 了承しなければよかった」と焦ったことを今でもズキっと胸を突かれるような後悔の痛みをともなって思い出せるからだ。
K医科大学附属病院には「特別療養環境室(差額ベッド)」は、特室・個室・二人部屋・三人部屋の4種があって、私が入ることになった二人部屋の「差額」は、当時1日あたり12,960円(消費税込)。これは保険適用外で丸っと自己負担になる。
当時、私は風が吹けば飛ぶような零細企業の共同代表をしていて、自分たちの報酬が出せない月がしばしばあるような自転車操業だったから、懐はいたって心もとなかった。というか、大人になって独立してから結婚していた時期も、シングルマザー時代も、私の懐に余裕があったことなどなくて、旅行するとしても1泊1万円を超える宿を選ぶのは超贅沢、せいぜい5~7,000円のビジネスホテルか民宿で居心地の良さそうなところを探すのが身の丈だ。そんな私にとっての差額ベッド代12,960円はプチ清水の舞台の部類だ。
しかもそのときの私は、名前すら知らなかったよくわからない病気になってしまって入院し、治療代がいくらかかるのか、いつ退院できるのか、治るのにどのくらいかかるのか、いつから仕事が再開できるのか、何も見通しのきかない超不安な状況にあった。
入院時に「各種医療制度における自己負担限度額について」という説明書が渡され、日本の健康保険制度では収入に応じた限度額というのが定められていて、払えないような大金は請求されないであろうことは想像できた。だけど、発見いっぱい原田病日記|その1|原田病って? 即入院って?に書いたように激しく動揺していた私には、以下のような表を見て「ふーん、△△△円くらいね」と計算できるような冷静さはなかった。というか、目が見えづらすぎて細かな字で書かれた説明書の注まで読み取って計算することなどできない状態だった。
例えてみれば、なぜかわからないけど成り行きで高級寿司店に入ってしまったとしよう。壁に値段表はかかっていなくて、メニューが手渡されることもない。こちらから「甘エビ!」「スズキ!」「シメサバ!」などとオーダーできない仕組みの店で、「今のあなたに必要な『おまかせメニュー』で、様子をみながら随時アレンジしてお出しします」と言われてしまう。せめてオーダーできるなら、お財布の中身が心配すぎるから5貫くらい食べたところで「あらぁ、今日はなんだか胃が小さいみたいだなぁ、オホホ、お腹がいっぱいになっちゃったわ」とかなんとか誤魔化して逃げ出すこともできように、店主は「寿司のプロはこちら。素人のあんたにはネタも量も選ぶことはできぬ」という強いオーラをぐいぐいと押し出してくる。そして「だいじょうぶ、おまかせメニューといっても上限額はありますんで」と胸を張って言うのだが、その上限額はいくらなの? ……トホホ……というタイミングで、「奥のお座敷で食べていただきたい特上ネタがありまして、それにつきましてはお座敷代12,960円をいただきます」と、なぜかそこだけ10円単位まで明快な値段を告げられる。
……どうでしょう? あなたなら、そんな状況で落ち着いて寿司を味わえますか? 悪夢ですよね。
なのに、病院ではそれが普通。特殊だよな、とつくづく思う。
とはいえ、それぞれの治療の値段がわかったとて、医学の知識がなければ自ら選択するのは無理だし、仮に専門知識があっても痛かったり苦しかったり目が見えなくなったりしている最中に冷静な判断はできないだろう。だとするなら、自己負担の上限額があるのを知ったうえで、治療や薬の選択は医師の判断にまかせられるという今の医療の仕組みはむしろ安心できるとも言える。でも、「差額ベッド代」については疑問が残る。
さて話は戻って、手元に残っている書類のなかに「特別療養環境室(差額ベッド)入室申込書」の「患者控」がある。
私は直筆でサインし、捺印もしてある。
上に書いたように、看護師長から転室を告げられて「えっ? しまった、了承しなければよかった」と焦って胸をズキズキさせられたときの書類だ。そして「でも、最初に了承しちゃったんだから、しょうがないよなぁ」と後悔の念にさいなまれながらサインし、捺印したのを思い出す。
文面は、こうだ。
「私は貴院に入院・転室するにあたり、より良好な入院環境を希望いたしますので下記に記載する特別療養環境室(差額ベッド)に入室することを希望し、申し込みいたします」
あら、そうだったの? 私は「より良好な入院環境を希望していた」(!)のね。そんなこと、今知った! そのときの私には文面をじっくりと確認できる心の余裕などなく、ズキズキと胸を突かれるような不安と、「なんで最初に了承しちゃったんだろう」という後悔に耐えるのに一所懸命になる一方で、「きっと、ほかに入院してきた患者さんに四人部屋は譲らなくちゃいけないんだろう」とも考えて自らを納得させたのだった。
そして私は、サインと捺印をしたこの書類を看護師長に差し出しながら、なけなしの勇気を振り絞って「できれば早く四人部屋に戻りたいです」と小さな声でつぶやいたのだった。そのおかげで2日だけで済んだのなら、ちっちゃな勇気をふりしぼった私を褒めてあげなくては。
……と、ここまで書いたところで、私が「差額ベッド代」について書くことの妨げとなっていた妙にチクチクとした気持ちの正体は、「自分で差額ベットの部屋に移っていいって了承したんでしょ」という「自己責任」を突きつけられて嘲笑われるのではないかという恐れと、「そのくらいのベッド代でごちゃごちゃ言うくらい貧乏なのね」と蔑まれたら嫌だという羞恥心だったということがよくわかった。
で、12,960円の追加料金を払った二人部屋の居心地はどうだったのか?
「で、その二人部屋、どうだったの? 四人部屋よりいい部屋だったの?」……って知りたくなりますよね? 興味津々になりますよね?笑
前出の「特別療養環境室(差額ベッド)入室申込書」には、「その他の付帯設備」として「テレビ・冷蔵庫(カード式)・トイレ・シャワー」と手書きで加えられている。
ふむ。
こうして書かれていると、いかにも特別な部屋に付いている特別な設備のような雰囲気が醸されるのだが、テレビと冷蔵庫(カード式)はスタンダードな四人部屋にも付いていた。
だから、違いはトイレとシャワーが病室内に付いていることだけだった。
旅館などで部屋にトイレと内風呂が付いていないとお手頃値段で、付いていると高くなることはままある。まあ、それと同じ理論なのかな。
でも、二人部屋に移ってから、私は室内のトイレはほとんど使わなかったし、シャワーはまったく使わなかった。というのも、二人部屋ではトイレの音がいやおうなく響くので、同室の女性に気兼ねして今までどおり廊下の先にある共同トイレを使うことが多かったし、シャワーに至っては、2回目の3日間のパルス治療中だった私は点滴をしていないときも腕に針が刺されたままで入浴が許されていなかったから使いようがなかったのだ。
つまり私にとってトイレとシャワーが室内についていたからといって、「より良好な入院環境」になったとは、お世辞にも言えなかった。
加えて、その二人部屋は北向きだった。それまでの四人部屋は南向きでお日様が燦々と注ぐ明るい部屋だったから、「これで追加料金か……とため息をつきたくなった」と当時の日記に私は書いている。とはいえ、どんなときでも寝つきが良いのと、気分の切り替えが早いのが取柄の私だ。「だけど、ここに来た意味をみつけよう。南側もいいけど、北側は落ち着く」と、あくまでポジティブシンキングを貫こうとしていた。我ながら、健気だ。
というか、その頃の私は発見いっぱい原田病日記|その4|あの幸福感は、ステロイドの仕業だったに書いたように、心がキラキラとした透明感に満たされて幸福感でいっぱいの“ステロイドハイ”だったから、書類にサインした後悔もお金の心配もほどなく頭から消え去り、「北の窓に広がる空はブルーグレーから淡いブルーに変わり、とっても爽やか。穏やかで満ち足りた1日がまた始まる」などと日記につづりつつ、小さな幸せの種を見つけることに没頭しきっていた。
それはそれで良かったとはいえ、その部屋が私にとって12,960円の追加料金を払ってまで得たいと思うほどの「より良好な入院環境」ではなかったことは、今なお確信をもって断言できる。
ところで同じ日、その二人部屋にもう一人、60代くらいの女性も移ってきた。網膜剥離の緊急手術をしたあとの治療中だった。武蔵野市で老母と二人で年金暮らしをしているそうで、「差額ベッド代が払えるかどうか心配だ」と何度も何度も私に訴えていた。
私はすでに気持ちを切り替えていたし、ぶっちぎりの“ステロイドハイ”でもあり、「払えない金額がふりかかってくることはない。乗り切ることのできない出来事が訪れることはない」という根拠のない確信に満ちていたから、彼女に「払えなかったら、市の相談窓口に行ってみたら?」などとツレない言い方をしてしまった。彼女には、あたかも私には経済的心配がないと受け止められてしまったに違いない。もっと共感をこめた対応ができただろうにと今は思う。やれやれ、私だって他人事じゃなかったのにね。
ともあれ、あれほどの不安を抱えながらも二人部屋に移されたということは、彼女もまた「特別療養環境室(差額ベッド)入室申込書」にサインし、「より良好な入院環境を希望」してしまったということだ。懐に余裕がないのにサインしてしまったのは、私だけではなかったのだ。
おそらく、私と彼女以外にもいるだろう。
だって、病気と入院の不安のなかでは誰でも判断力が下がってしまうものだろうし、何よりも、患者として公正に扱ってほしいと無意識のうちに思うばかりにサインを拒むという選択は取りにくい。私のように、「了承したとて差額ベッドに回される確率は低いだろう」となんとなく勝手に思い込んでサインし、「えっ?どうしよう?でも了承しちゃったんだから、いまさら拒めない」と後悔しながら差額ベッドに移り、「より良好」とは思えない病室に追加料金を払うことになった人は、たくさんいるんじゃないかな。
もちろん、病院の都合も理解できる。ベッド数と患者数と病状とをうまく調整して病室の振り分けを決めるのには、ご苦労が多いことだろう。だからまあ、こういうやり方でも仕方ないのかな、とも思う。
でも、その決定において患者の気持ちがあまりにないがしろにされてはいないだろうか。患者の立場の弱さに、もっと配慮すべきではないだろうか。病状や治療代がどうなるかめちゃくちゃ不安な状況にたたみかけるように降りかかってくる差額ベッド代が「運任せ」って、どうなんだろう?
せめて、「特別療養環境室(差額ベッド)」に関する書類のサインを求めるときに、「ご負担がきびしければ、サインは無理にしなくてもいいですよ」の一言を添えてくれたらよかったのにと思う。そうすれば、サインしないという選択をするハードルは格段に低くなる。患者が不安になったり後悔したりというネガティブマインドになる機会も減らせるだろう。
誰もが好きで病気になって入院するわけではないし、万全な経済力や知識や対応力を持って入院に臨めるわけではない。だからこそ、「特別療養環境室(差額ベッド)」の仕組みは改善の必要があると私は思う。
そして私自身がもしまた入院しなくてはならない状況になったときには、「この書類には、サインしなくていいですか?」と問い、私には追加料金を支払う余裕がないことを恥ずかしがることなく伝える勇気を持っていたい(あ、そのときには経済的余裕も持っていたいけど笑)。