『呪いの言葉の解きかた』が教えてくれるのは、行動する勇気のつくり方

気になること

『呪いの言葉の解きかた』(上西充子/晶文社/2019年5月発行)を読んだ。

著者の上西充子さんは、法政大学キャリアデザイン学部と同大学院の教授・研究者で、TBSラジオ『荻上チキSession22』にときどき登場されていて、私はこの番組で彼女の存在を知った。

首相をはじめ安倍政権の閣僚や官僚の支離滅裂な国会での発言を、まるで魚の身をはずして小骨を取って食べさせてくれるように、要点をわかりやすく解説してくれる論者である。
私はいつも「なるほど!そういうことなのか!」と膝を打ちつつ、現在の日本の政界で権力を持つ人たちの論点ずらしの狡猾さと卑劣さにいつもあきれさせられながらラジオを聴いている。

答弁の歪みを解き明かす「ご飯論法」

特に印象的だったのは、昨年2018年の国会での「働き方改革関連法案審議」の歪みを追求する彼女の根気強さだった。
その追求の過程でツイッター上で生まれた「ご飯論法」という言葉は、年末恒例の新語・流行語大賞トップテンにも選出されたので、上西充子さんの名とともに記憶されている方も少なくないのではないだろうか。

野村不動産の裁量労働制の社員の自殺について、あるいは労働時間規制についての質問に対して、当時の厚生労働大臣の加藤勝信氏がのらりくらりと話をはぐらかす様子を「ご飯」についての質疑応答に例え、その「おかしさ」を解き明かしてくれた。
「ご飯論法」の言葉が生まれる元になった上西さんのツイートは、以下のようなものだった。

Q : 「朝ごはんは食べなかったんですか」
A : 「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたがそれは黙っておきます)」
Q : 「何も食べなかったんですね?」
A : 「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので」 

ちぐはぐな応答であることは、これを読めば明らかだ。
質問に対する答えが、どう見ても噛み合っていない。

しかし、この応答からすぐにわかる「おかしさ」は、首相や大臣ともあろう人たちが国会の場で真面目な顔で語ると、聞く側には分かりづらくて、私などは混乱してしまう。混乱の結果、「あの人たちは、宇宙人みたいに別の言語、別の思考体系を持っているみたいだ」と感じて、彼らが彼らの世界で繰り広げている不毛な政治について考えることを放棄してしまいそうになる。その世界は、現実に私が暮らす世界と地続きであるにもかかわらず。

「でも、それって変ですよね?」と、上西さんは真っ向から、その詭弁を剥がして見せてくれる。

「ご飯論法」みたいな質疑応答は、変ですよね? 普通、そんな応答しませんよね?……と論理の歪みを上西さんは指摘した。
そして厚生労働省が出した裁量労働制の労働者と一般の労働者の労働時間の比較データは、変じゃないですか? 不適切ですよね?……と指摘し、政権の意図が「長時間労働の是正」などではなく「長時間労働の助長」だということを白日の元にさらしてくれた。

生身の一人の人として、異議申し立てすることの大切さ

著書『呪いの言葉の解きかた』が発行されたことを、私はやはりTBSラジオ『荻上チキSession22』で知った。

読んでみて、「想像していたのと少し違うな」という印象を持った。
というのは、おそらく私は『呪いの解きかた』というタイトルから、なんというか「ノウハウ本」のようなものを無意識のうちに想像していたのだと思う。

でもそこに書かれていたのは、一般化したノウハウなどではなく、生身の上西充子さん自身がどんな経緯で政権の不条理に異議申し立てをするようになったか、そしてご自身がメディアに露出して発言することで注目されるようになってどんな事態に直面していったかというレポートともいえるようなものだった(もちろん具体的なノウハウも含まれてはいるのだけれど)。

上西充子さんがラジオで論理的に伝えてくれる真実というのは、もともとそのものとして彼女に差し出されていたわけではなく、彼女が目を逸らさずに現実をじっと見つめ、わかりにくさをゴリゴリと咀嚼し、権力者たちが歪めて隠そうとしていることをしっかりと見極めるために言語化したものだということを、読みながらヒリヒリと感じた。

そして裸の王様に「裸だ!」と勇気をもって声をあげる彼女を応援したり賛同したりする人とつながっていくことで勇気をチャージして、権力者からの圧力や恫喝に負けずに異議申し立てを続けていらっしゃるという現実も、この本で私は知った。

矢面に立つのは、しんどいことだ。
だけど、彼女は闘志を燃やし、今日も理不尽なやり方をする人たちに向かって石を投げつづける。
敬服する。
先頭に立ってくれる彼女のような人がいることが、どれほど多くの人の心の支えになっているだろうかと想像する。

この本を読んでいて共感したのは、彼女が漫画やドラマや映画からもたくさんの知恵と勇気を吸収していることだった。
コミック『逃げるは恥だが役に立つ』(海野なつみ作)、フランス映画『サンドラの週末』(リュック・ダルデンヌ監督)など、私が姉から勧められて読んだり観たりしていた作品も含まれていて、そうだそうだと頷きながら本を読みすすめた。
引用されていたドラマ『ダンダリン』(2013年/日本テレビ)は、さっそくDVDを借りてきて観てみた。めちゃくちゃファイトが湧いてくるドラマだった。

とりわけ素敵だなと思ったのは、権力者や強い立場の人から投げつけられる「呪いの言葉」に切り返す言葉とともに、人をエンパワーメントする「灯火の言葉」や、視界を開いてくれる「湧き水の言葉」にも言及していることだ。

思考は、言葉によって組み立てられる。
思考を縛って呪いをかけようとする権力と闘うのも、自分の内にある思い込みを外すのも、人を勇気づけたり共感を伝えたりするのも、言葉なのである。

上西充子さんは生身の人としての痛みや喜びを通して、そうした「灯火の言葉」や「湧き水の言葉」を自分のものにしてきたのだ。
ゴリゴリと言葉を咀嚼したり、言葉に勇気を添えて羽ばたかせたりすることは、ほんとうに素敵な行為だなぁと、読みながらあらためて思った。

参議院議員選挙まで、あと9日。
悩ましい選択をしなければならないし、投票率や結果にはあまり明るい見通しを持てないでいる。
でも、あきらめてはいけない。

上西充子さんの言葉を肝に銘じて、投票と選挙後の日々に向き合っていこうと思う。

選挙の投票用紙が届くから、投票日に選挙に足を運び、ニュースで選挙結果を見て、あとは政治のことは誰かに任せきりにする。それでは、本当の意味での国民主権ではないのだ。国民主権とは、一人ひとりが主権者として判断し、発言し、行動し続けることだからだ。
 主権を手放してしまったら、選挙は政権にお墨付きを与える形式でしかなくなる。政権が暴走しても、止められなくなる。
おかしいことはおかしいと言い、あるべき社会を求める、そのための発言と行動をみずからがおこない続ける、それが国民主権ということなのだ。

※ 「呪いの言葉」と「切り返し方」は、上西充子さんの呼びかけで集まった「#呪いの言葉の解き方」を付けたツイートのまとめサイト『呪いの言葉の解き方』でも見ることができる。