発見いっぱい原田病日記|その7|難聴体験が「老い」の入口をじわっと広げてくれた

原田病日記

2015年12月に原田病を発症したときの主な症状は、目が極端に見えづらいことだった。
全体がボワっとくすんで見える、さらにマッシュルーム状の影に視界を遮られる……そんな症状だった(詳細は「発見いっぱい原田病日記|その1|原田病って?即入院って?」に)。

幸い、1回1000mlもの大量のステロイドを点滴する「パルス治療」を3回×2クール受けたら、マッシュルーム状の影はなくなった。薬が効いて、目の裏の脈絡膜に溜まった水が消えたからである。
しかし「見えづらさ」は、その後1年以上続いた。視界がゼリー状の液体に覆われているかのようにモヤモヤしたり、黒い点々がボワボワと視界をうごめいたりしていた。

加えて「パルス治療」を始めてからは、聴覚にも変調が現れた。
レジ袋の音が金属音のように響いて感じられたり、シーツやカーテンの布擦れが水の音のように聞こえたりした。
退院して家に戻ると、音によっては1/4トーンくらい高く聞こえるという現象も出ててきて、ラジオから流れてくる音楽が、ときに壊れかけた蓄音機か機械仕掛けの古いピアノみたいに調子っぱずれに聞こえることもあった。特に右耳がボワっと聞きづらくなることも、しばしばあった。

そこで退院後4ヶ月の頃、「原田病以外の原因もあるかもしれない」ということで、念のため耳鼻科でも検査を受けることになった。
ヘッドホンをつけ、「ピピピ」「プププ」「ポポポ」という高さや強さの違う音が聞こえたらボタンを押すという検査である。

結果は「心配するほどの聞こえの悪さではない」とのことで安心したが、「原田病の影響かもしれないし、老人性難聴のはじまりかもしれない」と医者に言われた。

えっ? 老人性難聴? 
私が……そのぉ……老人性?
えーーーっ?
心象は、ムンクの『叫び』だった。

当時、私は51歳9ヶ月。
40代終盤から近いものが見えづらくなっていたし、「老」が付く現象にはそろそろ慣れてきていたが、「老人」というレッテルへの心の準備はできていなかったのだ。

幸い、いつの頃か聴覚は正常に戻り、いまは何の問題もない。
レジ袋やシーツの音に眉をひそめることもなければ、音楽もふつうに堪能できている。
あれはやはり原田病のせい、あるいは治療の過程で現れる一過性の症状だったのだろうと思う。

しかし今振り返ると、あの「老人性難聴」のカウンターパンチは、「老い」を受け止める私の度量を一気ににグンと広げてくれたような気がする。
自分が「老人」の入口あたりにいることを、しっかり認識させてくれた出来事だった。
もう、多少のことではうろたえないぞ。

ただ、原田病発症あるいは治療の過程での「見えづらさ」や「聞こえにくさ」の自覚症状は、私にとっては「老眼」や「老人性難聴」とは別の次元のものだった。だからもし大きく再発することがあれば、きっと区別できると思う。

「原田病」の物差しと「老い」の物差しの境界がぼやけてきて、どっちにしても「年のせい」と受け止められるように時が流れていくことを、私は切に願っている。