所沢市をもっと知りたくて重厚な『ところざわ歴史物語』を読んでみた

日々の楽しみ

春になって散策するのが楽しくなり、自宅から6kmほどにある『滝の城址公園』まで足を伸ばしたりしているうちに、「あれ? 私ったら地元の歴史を知らないわ」と気づいた。
所沢市に移住してきて2年超えになるというのに、おやおや、なんたる手落ち。汗

そこで3月末、まだ新型コロナウイルス感染予防のために図書館が閉鎖するまえに借りてきたのが、『ところざわ歴史物語』だ。

サブタイトルに「所沢市史ダイジェスト版」とあるとおり、古代から現代までの歴史、加えて地域の民俗に至るまで、図や表や写真もふんだんに編集された見応え・読み応えいっぱいの一冊だ。

個人的には、市を含む武蔵野台地の地形や、戦国時代の地域の有力豪族が北条氏に支配されていく過程が説明されたページが好き。地図や勢力図がわかりやすくて面白い。手に取るたびに、繰り返しページを繰っている。

掲載されているエピソードの数々も興味深い。

例えば、徳川五代将軍綱吉の生類憐れみの政策では、江戸のみならず近郊農村でも犬を養育させられていた。この地域での担当は下北野村で、村の5人が世話役を任された。
で、村は幕府から犬の養育費を受け取り、世話役は幕府の野犬収容施設があった中野村(元・東京都中野区)に出張したり役人を接待したりする必要があるので、村から経費を受け取っていた。
ところが、である。
綱吉が亡くなると、六代将軍家宣は「生類憐れみの令」を撤回したのである。しかも撤回するだけじゃなく、なんと「御犬養育金」の返納命令を出したのだ。ひどいでしょ、勝手でしょ!
結果、村は毎月多額の返納を余儀なくされ、その負債は、返すのに30年もかかったほど巨額だったというのだ。しかも世話役の5人は、受け取っていた経費を村に返済できずに追放されたり田畑屋敷を没収されたりしたという。いやはや、無茶苦茶だ。そのせいで一生をズタズタにされた人が、この地にも何人もいたのだ。
勝手な都合で物事を采配するリーダーが権力を握るとロクなことにならないと、歴史は教えてくれる。

ほかにも印象深いエピソードとしては、こんなのもある。

幕末の公武合体運動として、皇女和宮が十四代将軍家茂との結婚のために京都から江戸に下ってきた。その道中の警備にあたる人馬を負担させられたのが中山道沿いの村々で、所沢周辺の村々にも費用負担が課せられた。でも、このときは幕府の要請にただ応じるだけでなく、嘆願を出して減免を交渉したというのである。
幕府から言われるままに従うのではなく権利を主張して抵抗できたのは、かつての痛い学びあってのことだったかもしれない。

もうひとつ、幕末の話。

秩父郡上名栗村で発生して武州・上州に広がった大規模な農民闘争「武州世直し一揆」に、「と」記しの大提灯に白幡を立てて所沢から参加した人たちがいた。
慶応二年(1866)6月13日に始まり19日には鎮圧されてしまった一揆だったが、「夜には所沢北あたりの畑に何千枚ものむしろ等を敷きつめ、三万人あまりが野宿し、さながら大野外祭典のありさまであった」。そして所沢でも、16軒ほどの穀屋や糸屋などの豪商が打ち壊されという。

……こうした歴史的出来事のシーンを知ると、当たり前ではあるが、この地域に生きていた民衆も常に歴史の奔流のなかにあったということが、しっかりとイメージできるようになる。
地域の歴史を知るって、ほんと面白いと思う。

この充実した『ところざわ歴史物語』は、A4版で214ページすべて光沢のある厚めの紙にオールカラー印刷。
手に取ると、ずっしり重い。計ってみたら990グラムもあったぞ。

大きめで重いので、デスクに置いて、きちんと座ってじゃなければ読めない。
寝転がっては読めないし、私は腕力がないので椅子に座って手に持って読むのも厳しい。そんな物理的条件ゆえに気軽に読めないのがちょっと残念だ。

でも、後記には、
実際に手に持った時の重さも考え、「厚くて重い」市史のダイジェストとして、気軽にご利用いただける本を目指しました
とあって、若干の違和感を抱く。笑

市史はさらに厚くて重いのかな。
編集に携わった教育委員会の方々は、これを気軽に持てるくらい腕っぷしの強い人たちが揃っていたのかな。
……とはいえ、ちょっと重すぎです。笑
文字どおり、気軽に利用できるハンディなガイドブックを作りたくなる。

ちなみに、この『ところざわ歴史物語』は所沢市教育委員会によって平成18年に発行され、今は所沢市には在庫がないとのこと。だから買うことはできないが、所沢市役所のwebサイトの『ところざわ歴史物語』ダウンロードのページでDLが可能です。
興味のある方は見てみてね。