考えること&対話することから本質をつかむ。そのコツを教えてくれる良書『はじめての哲学的思考』

気になること

苫野一徳著『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書2017年4月発行)を読んで、いたく感動してしまった。
「哲学」というと難しくてとっつきにくそうだと構えてしまいがちだが、実は、考えたり人と対話したりするときの基本に哲学があるということが、とてもわかりやすく解かれていたからだ。

とりわけ、この本を読んでよかったと思うのは、哲学の前段として押さえておくべき思考法の2つの注意点を知れたことだ。

2つの注意点とは、「一般化のワナ」と「問い方のマジック」である。

まず一つ目の一般化のワナ
これは、自分の経験を過度に一般化してしまうこと。
例えば、

▼ “わたしはこんな教育方法でわが子をトップアスリートに育て上げた。だからすべての学校は、この教育方法を取り入れるべきだ!”

などと「有識者」が「有識者会議」で主張するようなケースだ、と著者は説明する。
なるほどなるほど、たしかにこのような論調って、ありがちだ。

だれもが自分の経験をもとにして考える。
だからそのこと自体には特に問題はないが、自分の経験から結論づけたことを、まるで絶対に正しいことであるかのように一般化して主張すると妙なことになる。
だから、「自分の経験はあくまで自分の経験にすぎないんだということを、ちゃんと自覚しておく必要がある」と著者は言う。


そして二つ目の問い方のマジック
これは、いわゆる二項対立的な問いのこと。
例えば、

▼ “教育は子どもの幸せのためにあるのか? それとも、国家を存続・発展させるためにあるのか?”

というような問いのことだ。

そもそも「この世に、あちらかこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはほとんどない。とりわけ、意味や価値に関することについてはそうだ」と著者は指摘し、次のような問いに変える必要があると言う。

▼ “教育は、どのような意味において子どもたちのためにあり、またどのような意味において国や社会のためにあるのか?”

なるほど、このように問いを変換すれば、互いに意見を出し合いながら「共通了解」にたどり着く可能性が生まれる。
もし問い方が誤っていることに気づかずに問い方のマジックにひっかかり、どちらかを「正解」だと判断しなければならない気持ちにさせられてしまったら、それこそ問いを発した人の思うツボ。呪縛にかかって思考が歪み、問題解決への道は閉ざされてしまう。だから、「意味のある問い」に立て直すことが大事なのだ。

もうひとつ、用心すべきは「帰謬法」

もうひとつ、これもなるほど覚えておこうと思ったのが「帰謬(きびゅう)法」だ(辞書によると「背理法」ともいう)。

これは、「ひとことで言うなら、相手の主張の矛盾や例外を見つけ出し、そこをひたすら攻撃・反論しつづける論法だ。」

著者は、こんな例を挙げる。

▼ 「人にやさしくするのはいいことだ」。← 「いや、やさしくされて迷惑だという人もいる。」

▼ 「このコーヒーはおいしい。」← 「いや、おいしいと思わない人もいる。」

といった具合に、「人それぞれ」とか「時と場合によって」を論点にして例外をあげつらって相手の主張を否定するのが帰謬法だ。つまり、言葉の上ではどんな命題だって否定できるのだ。

でも、そんな否定合戦ばかりしつづけることに意味はない、と著者は言う。
そもそも帰謬法のカラクリは、ものごとを「真か偽か」の二項対立にもちこむ問い方のマジックなのである。

そして著者は、そのような次元で議論をしているかぎり互いに一歩もひけなくなってしまうから、ひとまず、どちらが絶対に正しいのかと考えるのをやめることが重要だと言う。


……このように、議論や対話の落とし穴をわかりやすく示しながら、思考と対話と共通了解への可能性に光を当ててくれる。ほかにも、時代を超えていかに哲学的思考が変遷してきたかの解説なども、とてもわかりやすかった。
さらに知りたいと思った方は、ぜひ手にとってみてください。この本の元になったちくま書房の「Webちくま」で連載された『はじめての哲学的思考』で、まずはつまみ読みするのもいいかも。

私がこの本を読みながら、どうしても頭に思い浮かんできたのは、昨今の国会や記者会見での政治家たちの不毛な議論や発言だった。
首相や各大臣をはじめとするこの国の政治家たちは、一般化のワナにはまりきって狭い了見で主張しあってはいないか? しかも、問い方のマジックを仕掛けることばかりに妙に長けている人がやけに多くはないか? 帰謬法で相手を言い負かしたかのごとくにせせら笑っている輩がとりわけ政権与党に多くはないか?
と思うと同時に、それ以前に、人を煙に巻こうとするばかりで中身がスカスカな主張が多すぎて、本質的な問題解決に向けた議論がされていないことを思うと、うんざりしてしまう。やれやれ、日本の政治問題は根が深いのぉ。

というわけで、「日本の政治家はみんな、この本を教科書にして学ぶ必要がある。」
というのが読了後に私が至った結論である(一般化のワナにしっかりはまっているな、こりゃ)笑