「ママ」と呼ぶこと、「ママ」と呼ばれること、「ママ」を主語に語ることについて

気になること

子どもの頃から、私たち姉妹は母のことを「ママ」と呼んできた。母が80歳になった今も、私たちは彼女を「ママ」と呼んでいる。
そして母自身も会話のなかで、主語を「ママ」にして語ることがしばしばある。「ママはコレは食べられないわ」とか「ママはいつもコレを使っているの」といった具合に。

この「主語を『ママ』にして語る」ということが、私は昨夏に札幌の父母の家に1ヶ月半ほど長滞在して介護生活を送った頃から、やけに気になるようになった。
気になりはじめるとますます気になるもので、今となってはあまりに気になりすぎて、電話で話しているときに母が「ママは~」と口にしようものなら話の中身に関心が向かなくなってしまうほどである。
なぜ、こんなに気になるのだろうか。いいかげん放っておけない。なにしろ、母の話がちっとも頭に入ってこないのだ。
というわけで、今日は私の心を解剖するつもりで、じっくりと考えてみることにした。

考えはじめてすぐに、そもそも「気になる」というよりも、主語を「ママ」にして語られると私はとても居心地悪く、不快になるのだということに思い至る。
そして、なぜ不快になるのか原因を考えるに、まず私自身は「私」以外を主語にして語ることがないことにも思い至る。
いや、過去を振り返れば、かつて息子が小さかった頃に「それはママのお菓子よ」とか「ママにもちょうだい」などと口にしたことがあったような気はする。が、あったとしても二十年以上も昔のことで明確な記憶はなく、もちろん、すでに独立した息子に対して私が「ママ」を主語にして話すことなどない。

つまり、自分を「ママ」という主語で話すことは、小さな子どもに対してする行為だと私は無意識のうちに認識しているのだな、おそらく。
だから、母が「ママは~」と話そうものなら、心の奥で「私はもう子どもじゃない、舐めんなよ」的な憤然とした思いがどこからか湧いてきてしまう。それで、私は不快になるのだな。ふむ。
しかし、原因はほかにもあるようだ。

「ママは~」と話す母と向き合うとき、私は彼女の娘であることを必要以上に意識させられてしまうみたいだ。
だから、母の発言に対して「娘として応えなければ」と身構えてしまう。そして、「母は、娘である私に何を求めているのか?」と自問してしまうことになる。

「ママはコレは食べられないわ」と言われると、娘として代替物を料理しなければいけない、あるいは次回は調理法を変えるなりメニューに入れないようにしなければなどと反射的に考えてしまう。
「ママはいつもコレを使っているの」と言われると、娘としてそれを踏襲しろと言われているような気がしてしまう。
「ママは洗濯物を干すときはこうするの」と言われると、娘として彼女のやり方に従って洗濯物を干すように指図されている気がしてしまう。

……といった具合に、「ママは~」と語られると、私の頭のなかで「娘としてすべきことは何か?」、はたまた「母が望むことができない私は親不孝者か?」といった自問が頭の中でぐるぐると巡り始め、不毛な葛藤が生じてしまうのだ。

おそらく母は「娘にこうしてほしい」という期待をこめて発言しているわけではなく、ただ無意識に「ママ」を主語にして話しているだけなのだろうが、そうだったとしても、私は母娘という関係性のなかで会話することが窮屈で煩わしい。母娘という関係性を意識せずに、シンプルに個人と個人として会話ができないことに無性に苛立ってしまうのだ。

……ということが、こうして考えるうちに見えてきた。

「ママ」でありつづける母を丸ごと受けとめられるか?

私の息子は、中学3年生の途中から2年ほど、ひどく荒れた。
そのあいだ息子は言語コミュニケーション領域を「ババア」「ウルセー」「シネ」の3語のみに狭め、不機嫌な表情と乱暴な態度という非言語コミュニケーション領域を暗黙のうちに拡大していった。

むろん会話が成り立つはずもない。それどころか、下手なことを言おうものならクズカゴだの拳骨だのが飛んできかねない。だから私は口数を最少限にとどめる努力を重ね、彼が好物の茶碗蒸しを食べている口角がやや上向きになったのを見て「まあ、味覚は正常に機能しているようだ」などと推測することで乏しい言語コミュニケーションを補足していたのだった。

どこに隠されているかわからない地雷を踏まぬように心を砕く、そんな重苦しい日々が2年ほど過ぎたある日、不意に息子が私に話しかけてきたのである、「ママー、あのさぁ」と。
思春期の付き物がポロっと取れた瞬間だったのであろうが、私は不意打ちをくらって「えっ!?」と一瞬絶句したあと、口から出てきたのは「もうママって呼ばないで」という言葉だった。その意外な言葉に自分でもびっくりさせられたのだが、声変わりした野太い声で「ママ」と呼ばれる違和感といったら、いやもう耐えられなかったのだ。

息子「じゃあ何て呼べばいい?」
私「そうねー、『知代さん』とか?」
息子「うーん……じゃあ、『ともちゃん』でどう?」

ってことで、その日から息子は私を「ともちゃん」と呼ぶようになった。
こうして一人息子から「ママ」と呼ばれなくなって、私を「ママ」と呼ぶ人はこの世に誰一人いなくなった。

荒れた思春期という過酷な月日を共有したあげくに「ママ」と呼び呼ばれる関係が断たれ、息子と私は「親離れ・子離れ」を果たして個人と個人の関係を結びはじめることができたのだと思う。
荒れていた日々には、そんな道が開かれるなどとは夢にも思っていなかった。息子は母である私をひたすら煩わしく感じていたのだろうし、私は私で何をしでかすかわからない息子にひたすら心を乱されていたのだが、すったもんだの苦悩の日々の果てに、とりあえず互いに近寄りすぎず干渉しすぎない距離感を獲得できたのだった。
いま、私は「ママ」であることから解放されて、いたって心が晴れやかだ。

そんな体験を経ているから、いまだに「ママ」を主語にして語る母が私には不可解で、不快にすら感じてしまうのだろうと、こうして考えるうちに思い至った。

おそらく、母は「ママ」でありつづけることで、自らのアイデンティティを保っている(父母は、今でも互いを「ママ」「パパ」と呼び合ってもいる)。一方、私は「ママ」を卒業し、それ以前に妻であることも放棄してしまっている。
私と母は、まったく異なる人生を歩んできた別々の人格であり、まったく異なる感性や信念をもって生きている。だから、感覚的に理解できないのは当たり前のことで、「ママは〜」と語られることの不快さを何ヶ月も放置しているうちに違和感ばかりが大きくなってしまったのだと思う。

今回こうして俯瞰してみて、とりあえず、「ママ」でいつづける母をまるごと受け入れることで、私はあらためて親離れすることを試みようと決意するに至った。
つまり、「ママは〜」と語られても、「私はもう子どもじゃない、舐めんなよ」と憤然とすることも、娘として何か求められているのではないかと身構えることもなく、平然と動じずに話を聞ける私になることを目指す。
というのも、憤然とするのも、身構えるのも、とどのつまり私の心の反応なのである。それは、母の問題ではない。
しかも、私のその心の反応は、まるで思春期の反発のようではないか。もし、不快感を抑えられずにムカついて、母に向かって「自分のこと『ママ』とか言うのウザいから止めてくんない?」などと絡んでいったら、まさに思春期レベルの反抗にほかならない。笑

母が自ら「ママ」でいつづけるのは、それは彼女の自由。

そう認められれば、あらためて親離れを果たしたと言えるのではないかな。さて、どうだろう。私はそこまで「大人」になれるのか、試される。