幻の「サツマイモ入りバターチキン」は、もう二度と食べられない

日々の楽しみ

先日、西武池袋線の東久留米駅にほど近いインド料理店『ルチラ』で食事をした。
南インドのケララ州出身の方がオーナーで、食いしん坊の姉がかねてから絶賛していた店である。
その日は、4月から大学生になって東京に住んでいる姪っ子も誘って、3人の夕食会だった。

すごくゴージャスという部類の店ではないが、扉脇の大きな器に生花のバラをたくさん水に浮かべていたり、食器が持ち重りのする洗練された金属製だったり。
「おもてなしされている感」が心地よい店だった。

水に浮んだバラは、造花じゃなく生花(注:「バラ鍋」ではありません)

インドカレーは往々にして油っぽくて胃もたれしがちだが、ルチラのカレーはそんなことはなく口当たりが繊細で、スパイスが醸す奥行きのある味わいに3人で感動しながら舌鼓を打った。

一番感動したのは、バターチキン。
メニューの説明書きによると、サツマイモが入っているという。
「インドでもサツマイモ、あるんだねー」「サツマイモの甘みが、こんなにスパイスと合うなんて!」「バターチキンにサツマイモを入れるのが、ケララ州風なのかなぁ」などと3人で驚嘆の言葉を発しつづけながら味わったのであった。

しかし。
ちょうど食後のチャイを飲む頃に、それまでご不在だったインド人の店主(40代くらい?)が現れたので、サツマイモ入りのバターチキンがめちゃくちゃ美味しかったと伝えたところ、「いやいや、ごめんなさい、サツマイモは入ってないんです」と苦笑いしながら流暢な日本語で言うではないか。

「えっ? でもメニューには……」と口をそろえる私たちに、店主は言うのだった。

「いまメニューをリニューアルしているところで、データをインドに送って、向こうでデザインしたものをプリントしたんですけど、言葉の間違いがあったり、説明がズレていたりで」

「・・・」
「・・・」
「・・・」

では、あのサツマイモの甘みは何だったのか?
ぜったいサツマイモの甘みだと確信していたあの味は、何だったのか???

絶句する私たちに、ご主人曰く「視覚情報は、味覚より強いですからね」。

たしかに、アップルジュースを紫色に着色すれば、人はそれを「グレープジュース」だと感知する。そんなものだと知ってはいる。ましてや言葉の先入観は、視覚情報を上回るだろう。

が、しかし。
あれほど「サツマイモ」を感じた自分自身の味覚への信頼が、がらがらと音をたてて砕るようであった。
まさかまさか、サツマイモ、入ってなかったの? 信じられなーい!

しかも、「バターチキンにサツマイモを入れるのがケララ州風?」という憶測が根底から覆されただけでなく、「そもそもバターチキンは北インドの料理です」と店主。
またも驚愕。あらまぁ、そんなぁ。店主の出身地の郷土料理ではなかったのね。

衝撃のダブルパンチを受けて、いましがた自分たちが食したもの全ての信ぴょう性がにわかに疑われることとなった。

そこで、食べた一品一品をメニューと付き合わせながら店主に確認してみた。
するともうひとつ、説明書きに誤りのある料理があったことが発覚した。カレーの前にオードブルとして食べた「マライ・ケバブ」である。

「鶏肉をサワークリームとスパイスに漬け込んで釜で焼いたもの」という説明書きに目を通しつつ、「サワークリームを使ってるから、ヨーグルトに漬けたタンドリーチキンよりクリーミーなのね!」などと感心しながら堪能した一品だったのだが、「サワークリームではなく、ヨーグルトです」と店主。
な~んだ、ふつうにヨーグルトだったのか。なんと。

なんだか肩透かしを食らった気分になりそうだったが、でも、どれも絶品で大満足だったことに違いはない。まじ、美味しかったもん。まあいいか。

この日、私たちが食べたのはルチラのサラダ、マライ・ケバブ、バターチキン、チャナマサラ(ひよこ豆のカレー)、ナン、パトゥーラ(揚げナン)。
店主と話すうちに、バターチキンのみならず「チャナマサラ」も北インドの料理だったことも発覚。「チャナマサラ」と合わせて食べるのがおすすめとメニューに書かれていた「パトゥーラ」との相性も抜群で感動ものだったのだが……これも店主の出身地の郷土料理ではなかったのか、残念。

次回は必ずケララ州の料理を選ぼう!と3人で心に誓いつつ、店を後にした。
「ケララ州のメニューにシールを貼って、選べるようにしてくれたらいいなぁ」と店主にリクエストしてきたのだが、さて実行してくれるかな(してくれなくても、次回はちゃんと質問してからオーダーするけど。何しろメニューの品数が迷うほど豊富なのだ、このルチラさん)。

私の姉は、今回私たちをルチラに連れていってくれたように、昔から美味しい店を見つけては誘ってご馳走してくれる。
振り返れば、姉の高校の近所にあった喫茶店のシナモントーストを皮切りに、大学近くのカフェのケーキやランチ、OL時代は有楽町近辺の飲茶やフレンチetc.…これまでどんだけ美味しいものをご馳走になったことか。
食いしん坊の姉よ、ありがとう!  

かくして今回は、姉との分厚い思い出アルバムに、「幻のサツマイモ入りバターチキン」が加わった。
もう二度と食べられない絶品カレーだ。

手前が「チャナマサラ」、右奥が「幻のサツマイモ入りバターチキン」