花盛りのGWの札幌で、母の車椅子を押して散歩して思ったこと

あちこち散策

今年(2019年)のゴールデンウィークは休日祝日が10日連続。せっかくなので、札幌の父母の家でのんびりと休暇を過ごしてきた。

その間、お天気の良い日は買い物や散歩に、母が乗る車椅子を押してよく出かけた。

母は7年前に脳梗塞を患い、右半身が思うように動かなくなってしまった。以後、外に出かけるには、誰かに車椅子を押してもらわなければならなくなった。お出かけ好きだった母には、さぞや辛いことだと思う。
しかも、札幌は冬の間は雪が積もるから、車椅子では出かけられない。さぞや冬が長く感じられることと想像する。

車椅子を押していると、普段よりゆっくり歩く。
特に花盛りのシーズンだったから、道すがら「満開ねー」っと立ち止まる。

見下ろせば、チューリップが。

見上げれば、八重桜も。

普段、私がゆっくり歩くのは、朝の犬の散歩のせいぜい15分ほどだけだ。
仕事や用事で出かけるときは、せかせか歩く。
肩が凝ったときのウォーキングでは、腕を大きく振ってさっさと歩く。
だけど車椅子を押しながらだと、段差はないか、石ころはないかと注意をしながら、あれを見たり、これを見たり、話したり、自然にのんびりペースになる。
休暇ということもあるが、心もゆったりとしてくる。いいものだ。

いつもは、父が車椅子を押して買い物に行ったり、近所の整骨院にリハビリに通ったりしている。
「パパが押すと、あぶなっかしくて。歩道の段差が大きいところや、地面がガタついてるところを避けずに進もうとするのよ」と母は不満をもらす。
実際、父が転んで車椅子ごと転倒し、母が肋骨を骨折したこともある。
だけど父は、そんな失敗をしても行動パターンを改めることができない。もともと不器用で不注意で運動神経が鈍いのだ。
私が小さかったとき、「そこで手を離すのか!」という雪の斜面でソリを押され、大木に正面衝突した記憶がある。自転車で父の後ろに乗っていたとき、「えー、そこで内側に入るのか!」という狭い歩道のガードレールで膝をしこたま打ちつけられたこともある。いずれも私は大泣きした。
そんな父なのだ。88歳になって周囲に気を使ってスマートな身のこなしのできるジェントルマンに変身したら、それこそ青天の霹靂だ。
それにたぶん、目がよく見えなくてますます判断できなくなっているのかもしれない。

だから母は車椅子に乗ったら、「右よ、右!」とか「そっち行かないで!」と大きな声で指示を飛ばす。それはそれでなんだか楽しそう。いいコンビなのだ、きっと。

私は20代の頃、価値観にどうしても共感することができず、父母と距離を置いていた時期がある。
ほとんど父母の家には寄りつかず、ごくたまに会うことがあっても口論になりそうで口をつぐんでいた。
ふたたび休暇に遊びに行くようになったのは、息子が生まれてからのことだった。その息子は5年前に独立し、私は「老い」を意識する年頃になった。
こうして父母が長生きして「老い方」を見せてくれているのは、幸いなことだと思う。

「いやー、こんなに長生きするとはなぁ。もっと生きるぞ」と父。
「最期までお世話してあげるって言ってたのに、逆に介護される身になっちゃって」と母。

誰もが、死に向かって生きていることは確かだ。
だけど、自分がどんな風に老いていくかは予想ができない。
ピンピンコロリを目指していても、それが叶えられる人はごくわずかだ。

自分の身に起こる「老い」の現象を淡々と、ときにあがきながら引き受け、できるだけ日々を楽しく過ごす工夫を重ねていくしかない。
そんな老いの日々を、素のままに父母は見せてくれる。